概要
日本の歴代天皇の中において、最初の天皇とされるカムヤマトイワレヒコノミコトこと神武天皇のことである。
『古事記』における記述
『古事記』の記述によれば、神武天皇は紀元前711年に生誕し、紀元前585年に127歳で崩御したとされている。もちろん、これらの記述だけで天皇の実在を証明するのは不可能である。
要点を簡単に説明すれば、『古事記』は上・中・下の3巻からなっており、そのうち上巻は神代の国から降臨したアマテラスオオミカミの孫・ニニギノミコトが日本を支配した物語であり、ニニギノミコトの子孫である神武天皇は中巻から登場、天皇の時代が展開されていくというのである。
「国」の成り立ちの物語としてはおもしろいが、神武天皇が実在したと記されている最古の文書は『古事記』と『日本書紀』のほかになく、しかも天皇が生きたとされる時代は両書が編纂された奈良時代よりもさらに時代を1400年もさかのぼらなければならない。その間に書かれた文書にも天皇の名は記されていないことから、現在の考古学において神武天皇は架空の人物と考えられている。
また、中国の歴史書『魏志倭人伝』によれば、大規模な内乱を鎮めた「邪馬台国」の女王・卑弥呼が魏の都に使者を送り、誼を通じたとある。この歴史世には当時(3世紀)の「倭国(日本)」は小国が林立して争いを繰り返していたともしるされている。この小国のなかに「大和朝廷」の基となった国があったとしてもおかしくはないが推論の域を出ず、明らかに『古事記』にある日本統一物語と異なっている。
大和朝廷
大和朝廷の成立時期ははっきりしない。
5世紀半には一定の勢力となっているが、長く各地の豪族と抗争を繰り返しており、支配地も近畿地方のごく狭い地域に限られていたと思われる(平安時代以降も東北に蝦夷、九州に熊襲・隼人の勢力があることからも、いかに朝廷の支配体制が弱かったがわかる)。
「天皇」
この称号を最初に使ったのは39代・天武天皇(大海人皇子)からとされており、それまでの称号は「大王(おおきみ)」であった。壬申の乱において大海人皇子は甥の大友皇子(天智天皇の皇子、明治3年(1870年)に「弘文天皇」と追贈)と「王位」を争い、勝者となって「王位」を継ぐ。
即位後、大王は歴史書の編纂を命じ、完成したのが『古事記』と『日本書紀』である。
(もとになった物語はあったかもしれないが)、「神武天皇」の名はここで初めて出、「天皇」号も天武・持統朝に発祥したとの説が有力となっている。