西武2000系
せいぶにせんけい
概要
昭和20年代以降3扉車の製造・投入を墨守していた西武鉄道が、1970年代以降の激化する混雑を解消する為に投入した4ドア車両である。西武初の界磁チョッパ制御車であり、製造時期によって旧2000系と鋼体の設計が変更されたマイナーチェンジ車の新2000系に分けられる。
旧2000系
登場時・未更新状態 更新後
1976年に新宿線に投入された車輌。戦前型旧型国電モハ41系並みの性能でしかない旧型車の置き換え用として、実用一点張りのごついデザイン(あえて例えるなら東武8000系の初期デザインや国鉄キハ37あたりを強引にパノラマウインドウ化したような感じ、と云うべきか)の前面に、国鉄103系の初期型で使われているユニットサッシでない2段アルミサッシ窓、今となっては古式ゆかしきグローブベンチレータ、モーターはMT54系の界磁チョッパ対応改良の独自型という内外とも国鉄系の影響が非常に強い電車。
車体断面は101系と同じ、台車は旧101系で実績のあるFS372/072台車を少しの改設計で流用など、よくいえば手堅い、悪く言えば必要以上に頑固な西武らしい車両である。大半は西武所沢工場で製造されたが、東急車輛製も存在する。
4ドアを採用したのは当初西武新宿~田無間の混雑時の各駅停車運用を重視して設計されたためで、当初は6連のみで前頭部には電気連結器も装備されていなかったが、増結用として2連、編成組み替えで8連が組成された。また、1986年の田無事故で廃車になった車輛の補充分として、屋上ベンチレーターや内装の一部部品が新2000系と同様の最終形が存在する。
池袋線には正式に在籍していた事はない(西武球場輸送にはよく入線する)が、これは当時の西武が池袋線は3扉で十分というドクトリンによるものであった。事実モハ63系譲渡車である4扉車、旧401系は、まともに活用されることなく新宿線系統の区間運転専用に終始し、昭和48年に廃車になっている。後に池袋線用の3000系という新101系との折衷型3扉車が製造されるものの、輸送量増加により適応できなくなり、2014年に全廃になった。また後年になってから度重なる更新工事でシングルアーム式パンタグラフ化・方向幕のLED化・スカート取り付けなど一つとして同じ形態の編成のない個体差の激しい状態と化していたが、2015年より老朽廃車が始まった。
新2000系
更新編成 1990年代の2000系 1988年登場時
N2000系とも呼ばれる。1988年より当時流行のブラックフェイスの導入、バランサー付き一段下降窓の採用、戸袋窓の新設など外観を一新。新宿線だけでなく池袋線にも多数投入され、輸送力増加に適応できなかった101系を徐々に駆逐していった。もっとも101系を完全に駆逐したのは西武6000系以降のステンレス・アルミ車の大量増備によるものである。
1990年代にはVVVFインバーター試験車・試作台車実用試験など、実用テストベンチレーターとされることも多かった。
近年の老朽対策による更新工事によってベンチレータ撤去、内装更新、戸袋窓の埋め込みなどの外観に個体ごとの差異が出ているが、基本寸法は旧2000系と同じため、意外に違和感がない。
新宿線では今でも主力車両だが、高架・高速化された池袋線では性能が不足なためか、昼間時間帯では見かけることが少なくなっている。
池袋線所属の2097Fは、車齢が比較的新しいにもかかわらず2016年暮れに廃車になったが、これはVVVF制御試作車が編成中に含まれていたため更新を行わずに廃車となったもの。そのうちのクハ2098の前頭部は、藤久ビル東5号館(丸善 池袋店)に保存されている。