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ゲルハルト・バルクホルンの編集履歴

2018-03-01 22:14:46 バージョン

ゲルハルト・バルクホルン

げるはるとばるくほるん

ゲルハルト・バルクホルンとは、ドイツ空軍のエース・パイロット。

概要

第二次世界大戦時のドイツ空軍パイロット。

撃墜数301機というエーリヒ・ハルトマンに次ぐ記録を出す。

1919年3月20日、東プロイセンのケーニヒスベルクで生まれる。

1937年にドイツ空軍に入隊、訓練修了後は第2戦闘航空団第3中隊に配属される。

1940年に第52戦闘航空団第2飛行隊第6中隊に配属し、バトル・オブ・ブリテンに参戦するが、一度も撃墜できず、しかも二度被撃墜される。

しかし、東部戦線において初戦果を記録した後、一ケ月で5機撃墜してエース・パイロットになり、更に立て続けに驚異的なスコアを更新し、ついには1945年1月5日に史上二人目の300機撃墜を果たす。

もっともこの記録の為に九回撃墜され、特に1944年5月に後方からの攻撃で撃墜されて四ヶ月の入院を余儀なくされた折に彼の撃墜数は273機で、ハルトマンはようやく撃墜数を200機超えたばかりであり、この負傷が無ければハルトマンを抑えたままドイツ空軍一位のエースであったとも言われる。

また1945年1月に東部戦線を離れて西部戦線の第6戦闘航空団司令に就任。その後、アドルフ・ガーランド中将を司令官とする第44戦闘航空団に参加し、戦果の無いままMe262に搭乗しての2回目の出撃で片発停止で敵戦闘機に追われ胴体着陸に追い込まれた折に負傷して戦争を終え、東部戦線と違いスコアもそれ程伸びる事はなかった。


戦後は、恋人のクリストルと結婚し西ドイツ空軍に入隊する。


しかし、1983年1月6日、バルクホルン夫妻は、ケルンで自動車事故に遭遇し亡くなる。


性格

自己主張が強いドイツ人の中では、もの静かで控えめな人物だった。

誰が撃墜したかわからなくなった時でも、気前良く戦果を部下に譲ったという。

敵機に命中弾を与えた後は必ず脱出のための機会を与えるなど、パイロットの技量よりも優れた人格を高く評価されている。

ハルトマンもバルクホルンが損傷させたソ連軍機に近づき、横につけるや身振り手振りでパニックに陥っているソ連軍パイロットに脱出を促して脱出させているのを目撃している。帰投後にハルトマンはその行為は手ぬるく確実に撃墜すべきだったと言ったが、バルクホルンは「ブービー、君はこの事を忘れてはいけない。彼も美しいロシア婦人の可愛い赤ん坊だったという事をだ。彼には命と愛情と持ち続ける権利がある。我々と同じなんだよ」と諭したという。


関連タグ

ドイツ軍 ナチス エーリヒ・ハルトマン

ゲルトルート・バルクホルン(「ストライクウィッチーズ」で彼がイメージモデルとなったキャラクター)

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