巨人史上初の育成選手。
育成枠から這い上がり、チーム随一の左のセットアッパーに成長した雑草エース。
高卒後にスカウトに誘われ、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のマイナーリーガーとして4年間プレーしていたが、昇格できずに無念の帰国。
帰国後はNPBの横浜ベイスターズと楽天イーグルスの入団テストを受けたが、両球団とも不合格。
最後の望みとして巨人の入団テストを受け、見事合格。2005年の育成ドラフトで指名を受け入団する。
その後は順調に実力を発揮し、2007年には支配下登録を勝ち取り、翌2008年は開幕1軍入りを果たす。
シーズン入り後は撃ち込まれた先発陣を救うリリーフエースとして活躍を残し、最終的に67試合に登板して11勝を挙げ、13ゲーム差を逆転した奇跡のリーグ優勝に貢献。オフには育成選手枠出身選手として初の新人王を受賞した。
その後も2009年には最優秀中継ぎを受賞。更にその翌年以降は9年連続60試合登板、通算270ホールド、通算320ホールドポイント(後者2つは世界記録)などの大記録を次々と打ち立てている。
また、侍ジャパンには3度選出され、国際大会の場でも中継ぎエースとして活躍を残している。
しかし、近年は中継ぎとして長らくの酷使が祟ったか、成績は年々悪化し、徐々に陰りが見え始めている。