ファミリア
ふぁみりあ
概要
1963年10月に発売開始。ライトバンが設定された。そのライトバン、「他のライトバンと比べると乗用車に近いんでね?」と高く評価された。そのせいか、半年後にステーションワゴンが追加され、さらにはピックアップトラックやセダンやクーペもラインナップに加わった。
1967年に2代目にスイッチ(ただしライトバンは少し遅れたうえ、クーペは約1年後に追加)。ロータリーエンジンの普及をもくろみ、ロータリーエンジン搭載のクーペ「ファミリア・ロータリークーペ(R100)」やセダン「ファミリア・ロータリーS」シリーズが追加された。
1970年に「ファミリア・プレスト」と改名。1973年にクーペとセダンの全幅拡大・フェイスリフトを実施、その際ロータリーエンジン搭載車を廃止した。なお1976年には全車種のフェイスリフトを実施、今のCIロゴを採用した。
1977年に3代目に移行。ハッチバックスタイルに一新したが駆動形式は引き続きFRを採用している。松竹映画「幸せの黄色いハンカチ」にも登場した(メインイラストも参照)。
1980年、ハッチバックをFFに切り替えた4代目が登場(ライトバンは引き続き3代目を継続)。すぐにセダンも復活させた(3代目には設定無し)。
3代目も結構人気はあったが、この代はFFの利点をしつこいくらいラジオCMでアピールしたこともあってか、トヨタが青ざめ、大慌てでカローラにハッチバックモデルの「カローラFX」を追加させたほどの大ヒットとなった。
1985年、バンもFFに転換した5代目が登場。日本車初のフルタイム4輪駆動車や、オープンカー(カブリオレ)も追加させ、車種の充実を図っている。
1989年に6代目に変更(ただしライトバンは5代目のまま据え置き、1994年まで生産、販売された)。3ドアハッチバックおよび5ドアハッチバッククーペのアスティナ、セダンという構成になった。なお、アスティナに関しては、マツダの多チャンネル構想(その後挫折、マツダの経営を傾かせてしまう)に基づき、ユーノスブランドで「ユーノス100」として発売された。
1994年に7代目に移行。ライトバンに関しては日産自動車からの供給に変更、自社生産は3ドアハッチバッククーペのNEOとセダンに絞り込んだ。ただNEOは、海外からの評判は良かったものの、日本市場では全く売れず、結果2年で日本市場のラインナップから外れ、セダンのトランクを取っ払ったようなスタイルの3ドアハッチバックに変更せざるをえなくなった。しかもデミオが登場したことで、主力車種の座が揺らぐようになっていく。
1998年に8代目が登場。ステーションワゴン(S-ワゴン)とセダンの2車種が発売され、遅れてライトバンも追加された。
2004年6月いっぱいを持って自社生産分の販売を終了した。後継車はマツダ3(日本名アクセラ)。ライトバンに関しては2007年に9代目に移行したが、2018年6月、供給元を日産からトヨタに変更したことに伴い10代目に移行した。
派生車種
- グランドファミリア
1971年から1978年まで製造・販売されていた、ファミリア(プレスト)の上級車種。クーペ、バン、セダンの3車種が存在した。ただし、「ファミリア」の名前がついているが、実態は、初代サバンナのレシプロエンジン仕様車であった。
- エチュード
1987年から1990年まで製造・発売されていた3ドアハッチバック・クーペ。あまりにもファミリア3ドアとキャラがかぶっていたせいか、ほとんど売れなかったという。なんのために作ったんだ??
- フォード・レーザー
フォードとの提携によって生まれた車。1981年から2000年まで製造・販売された。3代目(3ドアハッチバッククーペとセダンが設定されていた)以外は誰がどう見てもフォードのエンブレムつけたファミリアです。本当にありがとうございました。ただし4代目のハッチバッククーペはヘッドライトの形がファミリアのそれ(NEO)と異なってはいた。また最終モデルの5台目は「レーザーリデア」と名乗っていた。
追記
アメリカを除く海外では「マツダ323」という名前で売られ、特にヨーロッパでは高い評価を受けた。アメリカでは「マツダ・GLC」や「マツダ・プロテジェ」という名前で売られたことがある。