ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

方倉陽二の編集履歴

2018-09-08 00:52:13 バージョン

方倉陽二

かたくらようじ

方倉陽二とは、日本の漫画家である。

概要

大分県豊後高田市出身。藤子不二雄のチーフアシスタントを務めた事もあった。1976年、雑誌「小学一年生」において『アカンベー』でデビュー。


藤子のチーフアシ時代は『ドラえもん百科』に代表される『ドラえもん』派生作品の作画や挿絵を担当した。時に多忙な藤子(F)に代わり設定考証も行っていた…のだが、初期の『ドラえもん』はコメディー色の強い正真正銘のドタバタギャグ漫画であったため、考証もそちら方面に強く出るようになった。この時代、方倉によって考証・表現された『ドラえもん』の設定はファンより方倉設定と呼ばれている。

えびはら武司いわく、のび太くんやしずかちゃん達の誕生日を設定したのは方倉だという。(藤子スタジオアシスタント日記~まいっちんぐマンガ道~より)

このように「方倉設定」の中には事後において藤子Fより公式設定として拾われたものもあるが、後に藤子F自身の手によって修正(変更)や否定をされたものも多い。そして藤子Fによる方倉設定の修正は作品(大山ドラ)のかなり後期になってから設定整理の必要に迫られ行われたものであったため、それ以前にテレビ朝日で放映されたクイズ大会で問題の底本にされるなど、永らく準公式設定として扱われていた事があった。

そのため、どこぞのトーク番組あたりで堂々と方倉設定を公式設定のように披露してドヤ顔をする芸能人がいたりするが、時に下手にこれをするとコアなファンから方倉設定(しかも藤子Fによる修正済設定)である事を指摘されて大恥をかいたりするので注意を要する。(ただしファンは方倉設定に対しても「作品の歴史のひとつ」として敬意を払う事を常としており、近年は公式側も「方倉設定を信じてしまった初期ドラ世代への配慮」から両方を拾い上げる向きがある)


独立後の代表作に『のんきくん』、『まじかるハット』などがある。

しかし1997年4月8日、漫画家として代表作も得てこれからの活躍が大きく期待されていた時期に、くも膜下出血で突然の逝去。享年48才であった。


関連イラスト

のんきくん

しうぼのうほま


関連タグ

まじかるハット 藤子不二雄

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました