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方倉陽二の編集履歴

2024/07/25 14:54:55 版

編集者:applepie

編集内容:多数の誤りを修正。[[ドラえもん百科]]と重複する内容は削除し、重複しない内容は[[ドラえもん百科]]に移動。

経歴

1949年、大分県豊後高田市出身。少年時代は数学が大好きで、絵も得意だったが漫画家になろうとは思っていなかった。家庭の事情で大学に進学できず悶々としていた19歳の時、手塚治虫責任編集の雑誌『COM』に衝撃を受け、漫画家を志す。大人向けの1コマ漫画を同誌に投稿し、審査員を務めていたやなせたかしに激賞された。

1969年に『COM』に23頁の読切『おさなき日。』が掲載。

1970年上京し、4月から藤子不二雄のアシスタントを務め、1973年からはチーフアシスタントも務めた。同年には『労働安全衛生広報』に『サイナン君』を連載(全17回)。

1976年10月に藤子スタジオを退社し、『小学一年生』で『ろぼっ子ビートン』の連載を開始。

1977年4月から『コロコロコミック』で『ドラえもん百科』を連載開始。同作における『ドラえもん』の設定は「方倉設定」として知られる。

12月から『小学一年生』で『アカンベー』(自作オリジナル漫画)を連載開始。

児童漫画を専門とし、代表作に『のんきくん』、『まじかるハット』などがある。科学や数学分野の学習漫画も手掛け、「監修者が用意してくれた資料が不要なほど、数学の知識があった」という。

スラップスティックなギャグに定評があり、オーバー過ぎる顔芸ハンマー・包丁などを持って追いかけ回すなどの過激な描写、ハリセンとんかちによるどつき漫才、尻を突き出して「ドピュー」と飛んでいくズッコケ方など、見た瞬間に「ああ方倉作品だ…」とわかるギャグ描写が有名。

あと、女性キャラ(所謂今でいう萌えキャラ)をまいっちんぐマチコ先生ばりにナイスバディに描く癖がある。(ちなみにマチコ先生の作者のえびはら武司氏は弟弟子である)

しかし晩年は健康を害し、師・藤子・F・不二雄の後を追うように、1997年4月8日、くも膜下出血で突然の逝去。48才であった。

彼の故郷である豊後高田市の図書館では、今も方倉の著作が1コーナーを飾り、子供たちを楽しませている。

藤子不二雄のアシスタント時代

藤子不二雄藤本安孫子の両方)のチーフアシスタントを務め、『ドラえもん』等の多数の連載作品の登場人物の身体部分のペン入れを担当した。その他に派生作品の作画や挿絵も手掛けた。時に多忙な藤本に代わり設定考証も行っており、えびはら武司いわく、のび太しずか達の誕生日を設定したのは方倉だという(『藤子スタジオアシスタント日記~まいっちんぐマンガ道~』より)。

『ドラえもん』の序盤に登場する脇役「片倉サブロー」は陽二がモデルとされる。

代表作

オリジナル

ドラえもん関連

  • ドラえもん百科
  • 『ドラえもん学習シリーズ』
    • 国語:『作文がスラスラ書ける』
    • 算数:『数量関係がわかる』 ※16刷以降は『式とグラフがわかる』
    • 体育:『てつぼう・とびばこができる』
    • 体育:『水泳がたのしくできる』 ※絶筆により途中からさいとうはるおが代筆
  • ドラえもん宿題解決シリーズ①『宿題に役だつ自由研究』
  • 『ドラえもん おもしろ国語クイズ館』
  • 『ドラえもん クイズ! 語源まんが事典』
  • 『ドラえもん 名言・格言まんが事典』※さいとうはるおとの共著

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