方倉陽二
かたくらようじ
経歴
1949年、大分県豊後高田市出身。少年時代は数学が大好きで、絵も得意だったが漫画家になろうとは思っていなかった。家庭の事情で大学に進学できず悶々としていた19歳の時、手塚治虫責任編集の雑誌『COM』に衝撃を受け、漫画家を志す。大人向けの1コマ漫画を同誌に投稿し、審査員を務めていたやなせたかしに激賞された。
1969年に『COM』に23頁の読切『おさなき日。』が掲載。
1970年上京し、4月から藤子不二雄のアシスタントを務め、1973年からはチーフアシスタントも務めた。同年には『労働安全衛生広報』に『サイナン君』を連載(全17回)。
1976年10月に藤子スタジオを退社し、『小学一年生』で『ろぼっ子ビートン』の連載を開始。
1977年4月から『コロコロコミック』で『ドラえもん百科』を連載開始。同作における『ドラえもん』の設定は「方倉設定」として知られる。
12月から『小学一年生』で『アカンベー』(自作オリジナル漫画)を連載開始。
児童漫画を専門とし、代表作に『のんきくん』、『まじかるハット』などがある。科学や数学分野の学習漫画も手掛け、「監修者が用意してくれた資料が不要なほど、数学の知識があった」という。
スラップスティックなギャグに定評があり、オーバー過ぎる顔芸やハンマー・包丁などを持って追いかけ回すなどの過激な描写、ハリセンやとんかちによるどつき漫才、尻を突き出して「ドピュー」と飛んでいくズッコケ方など、見た瞬間に「ああ方倉作品だ…」とわかるギャグ描写が有名。
あと、女性キャラ(所謂今でいう萌えキャラ)をまいっちんぐマチコ先生ばりにナイスバディに描く癖がある。(ちなみにマチコ先生の作者のえびはら武司氏は弟弟子である)
しかし晩年は健康を害し、師・藤子・F・不二雄の後を追うように、1997年4月8日、くも膜下出血で突然の逝去。48才であった。
彼の故郷である豊後高田市の図書館では、今も方倉の著作が1コーナーを飾り、子供たちを楽しませている。
藤子不二雄のアシスタント時代
藤子不二雄(藤本と安孫子の両方)のチーフアシスタントを務め、『ドラえもん』等の多数の連載作品の登場人物の身体部分のペン入れを担当した。その他に派生作品の作画や挿絵も手掛けた。時に多忙な藤本に代わり設定考証も行っており、えびはら武司いわく、のび太やしずか達の誕生日を設定したのは方倉だという(『藤子スタジオアシスタント日記~まいっちんぐマンガ道~』より)。
『ドラえもん』の序盤に登場する脇役「片倉サブロー」は陽二がモデルとされる。