概要
大分県豊後高田市出身。藤子不二雄のチーフアシスタントを務めた事もあった。1976年、雑誌「小学一年生」において『アカンベー』でデビュー。
独立後の代表作に『のんきくん』、『まじかるハット』などがある。
しかし1997年4月8日、漫画家として代表作も得てこれからの活躍が大きく期待されていた時期に、くも膜下出血で突然の逝去。享年48才であった。
『ドラえもん百科』と方倉設定
藤子のチーフアシ時代は『ドラえもん』派生作品の作画や挿絵を担当した。時に多忙な藤子(F)に代わり設定考証も行っており、えびはら武司いわく、のび太くんやしずかちゃん達の誕生日を設定したのは方倉だという。(藤子スタジオアシスタント日記~まいっちんぐマンガ道~より)
コロコロコミックスにはドラえもんの様々な裏設定を紹介する『ドラえもん百科』と呼ばれるミニコーナーが方倉によって連載されていた(1977年〜1981年)。これは後に単行本化もされた。
ただ、初期の『ドラえもん』はコメディー色の強い正真正銘のドタバタギャグ漫画であったため、『ドラえもん百科』も真面目な設定考察本ではなくあくまでギャグ漫画の体裁で描かれていた。そのため、この『ドラえもん百科』には藤子F公認の公式設定に加えて、方倉によるお遊びとして作られたオリジナル設定がいくつか混じっている。
『百科』で公開された設定や考察は現在ではファンより方倉設定と呼ばれている。
「方倉設定」の中には事後において藤子Fより公式設定として拾われたものもあるが、後に藤子F自身の手によって修正(変更)や否定をされたものも多い。そして藤子Fによる方倉設定の修正は作品(大山ドラ)のかなり後期になってから設定整理の必要に迫られ行われたものであったため、それ以前にテレビ朝日で放映されたクイズ大会で問題の底本にされるなど、永らく準公式設定として扱われていた事があった。
そのため、どこぞのトーク番組あたりで堂々と方倉設定を公式設定のように披露してドヤ顔をする芸能人がいたりするが、時に下手にこれをするとコアなファンから方倉設定(しかも藤子Fによる修正済設定)である事を指摘されて大恥をかいたりするので注意を要する。(ただしファンは方倉設定に対しても「作品の歴史のひとつ」として敬意を払う事を常としており、近年は公式側も「方倉設定を信じてしまった初期ドラ世代への配慮」から両方を拾い上げる向きがある)