バトゥ
ばとぅ
バトゥとは人物の名前である。
ここではメイン画像の人物であるバトゥを中心に紹介する。
概要
1207年生~1256年没
漢字では抜都。資料によってはバツ、バツーとも。
ジュチ・ウルス第2代当主。キプチャク・ハン国としては初代当主となる。
モンゴル帝国初代ハーンであるチンギス・ハーンの長男ジュチの次男で1224年に父が死去した際に跡を継いでジュチ・ウルスの当主となった。
1236年にオゴタイ・ハーンの命令により西のヨーロッパ方面への遠征軍の総司令官となり、オゴタイの子グユクやトゥルイの長男モンケ等帝国の若手の皇族を率いた。
遠征軍はカスピ海北方のブルガル人やキプチャク族の征服から始まり、1239年~1240年にかけてキエフ等のルーシ(ロシア)の各都市を攻略して破壊と虐殺を行いルーシ諸侯は尽く殺害されるか降伏した。ルーシ征服後は別働隊がポーランドに侵攻し、バトゥ率いる部隊はハンガリーに侵攻してモヒの戦いにてハンガリー王ベーラ4世の軍を撃破しハンガリーを征服した。
しかし1241年にオゴタイが亡くなった事によってヨーロッパから撤兵した。
オゴタイ死後にハーンとなったグユクとはヨーロッパ遠征以来不仲でグユクのハーン即位を認めずに対立関係となり1248年に至ってグユクがバトゥ討伐の軍を起こして西に向かうが急死した(バトゥが暗殺したともいう)。
グユク死後はモンケのハーン即位を支持し、自らはヴォルガ河下流域のサライを首都としてジュチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の体制固めに尽力した。