概要
1214年4月25日生~1270年8月25日没
フランス王ルイ8世を父にフランス王妃ブランシュ(カスチラ王アルフォンソ8世の娘)を母として生まれる。1226年に父が死去した事により12歳でフランス王に即位し、母ブランシュが摂政として補佐した。1229年にはブロヴァンス伯レーモン4世の娘であるマルグリットを王妃に迎えている。
治世の前半は先代からのアルビジョワ十字軍や独立の気運が強かったフランス諸侯との争いで国内の政情は不安定であったが、鎮圧に成功して国内を安定させ内政面においても地方監察官の創設や貨幣の統一等に功績を挙げている。
「聖王」と云われるように敬虔なキリスト教徒であり各地に修道院や救貧院を創設しているが、後半生においては第7回十字軍・第8回十字軍を自ら主導した事で知られている。1248年から1254年までの第7回十字軍はアイユーブ朝統治下のエジプトに乗り込んだが、緒戦で惨敗し捕虜となって多額の身代金を払いて撤退せざるを得なかった。そして晩年に第8回十字軍を主導するが北アフリカのチュニスで病死した。
死後の1279年にカトリック教会により列聖された。
関連人物
家族
マルグリット・ド・プロヴァンス(1221年頃生~1295年没)
王妃。ブロヴァンス伯レーモン4世の娘。
仲は良く間に6男5女をもうけているが、母ブランシュはマルグリットを快く思わなかった為にマルグリットとルイの部屋の間に秘密の階段を設けていたという。
フィリップ3世(1245年生~1285年没)
息子。
第8回十字軍に従軍し、父の死によりフランスに帰国して王位を継いだ。
ロベール1世(1216年生~1250年没)
弟。アルトワ伯。
第7回十字軍に参加したがマンスーラの戦いで戦死した。
アルフォンス(1220年生~1271年没)
弟。ポワティエ伯兼トゥールーズ伯。
主に行政面において兄を支えた。
第7回十字軍・第8回十字軍に参加したが兄と同じく現地にて病死した。
家臣等
ティボー4世(1201年生~1253年没)
シャンパーニュ伯兼ナバラ王。
ルイ9世の封臣であるが父ルイ8世とは対立関係にありルイ9世とも一時対立して反乱を起こし討伐されている。またルイの生母であるブランシュとは愛人関係であったとも。
ティボー5世(1238年頃生~1270年没)
シャンパーニュ伯兼ナバラ王。
ティボー4世の子でルイ9世の娘イザベルを娶った。
第8回十字軍に参加したが義父の後を追うようにして病死した。
ジャン・ド・ジョアンヴィル(1224年生~1317年没)
元々はシャンパーニュ伯家の家臣。
第7回十字軍に参加して以来、ルイの信頼を得るようになり重用される。ルイの死後は伝記である「聖王ルイの生涯」を著している。
エティエンヌ・ド・ボワロー(1205年頃生~1270年頃没)
ルイ9世の法律顧問を務めた人物で第7回十字軍にも従軍しパリ代官も務めている。
またパリにおける各職業の規則を定めた「職業の書」を残している。
ロベール・ド・ソルボン(1201年生~1274年没)
フランスのカトリック聖職者・神学者。
ルイ9世の宮廷付説教師を務め、ソルボンヌ大学(パリ大学神学部)の創設者としても知られる。
ウィリアム・ルブルック(1220年生?~1293年没?)
フランスの聖職者。
ルイ9世の命にてモンゴル帝国へと派遣され1254年にモンゴル帝国の都カラコルムにてモンケ・ハーンとの謁見を果たした。その際に見聞した事は「東方諸国旅行記」に書き残している。
関連作品
- 蒼き狼シリーズ
チンギスハーンⅣでは1189年開始のシナリオ1と1229年開始の新シナリオ1(PUK版のみ)に登場。
シナリオ1の場合、ある程度年代が経ってからの登場で祖父フィリップ2世・父ルイ8世との三代そろい踏みが可能。
新シナリオ1では若きフランス国王として当シナリオの主役の一人でありイベントも存在する。
能力的には凡庸気味の父と比べれば高いが、史実の事績や祖父フィリップ2世の圧倒的な高能力と比べるとやや抑えられている感はある。