政令指定都市の路面電車では最も遅い1944年に開業(当時政令指定都市という制度はなかったが)。
東京近辺の路面電車では珍しく標準軌を採用した。
これは京浜急行電鉄との乗り入れを計画していたため。
初期は新潟交通と東京都電の中古車を標準軌に改軌して使用したが、空襲を受けて壊滅。
箱根登山鉄道の中古車を購入したり、東京都電からさらに中古車を買ったりした。
以後は新車や車体更新車を導入した。
大都市らしからぬ大回りした路線一本であったが、計画では川崎市内を網の目のように走ることになっていた。
1969年廃止。
標準軌の路面電車は関西圏のほうが売り物が多かったせいか他社への売却は1両もなかった。