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今出川公言の編集履歴

2019-08-01 15:50:43 バージョン

今出川公言

いまでがわきんこと

今出川公言とは江戸時代中期の公卿。

概要

父は今出川誠季、母は今出川公詮の娘、官位は正三位、権中納言


プロフィール

時代江戸時代中期
生誕元文3年8月1日(1738年9月14日)
死没安永5年8月25日(1776年10月7日)
官位正三位、権中納言、贈従二位
主君桜町天皇→桃園天皇
氏族菊亭家
父母父:今出川誠季、母:今出川公詮の娘
子女勧修寺良顕室、養子:実種

経歴

延享3年(1746年)に叙爵、侍従・左近衛権少将に就任。宝暦3年(1753年)に従三位、右近衛中将。宝暦6年(1756年)から宝暦8年(1758年)まで権中納言に就任。その後宝暦10年(1760年)に宝暦事件より出家した。死後の明治24年(1891年)に従二位を追贈された。



外部リンク

今出川公言 - Wikipedia


関連タグ

江戸時代 公家 菊亭家 宝暦事件

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