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醍醐兼純の編集履歴

2019-08-29 07:39:38 バージョン

醍醐兼純

だいごかねずみ

醍醐兼純とは江戸時代中期の公家。

プロフィール

時代江戸時代中期
生誕延享4年10月16日(1747年11月18日
死没宝暦8年4月21日(1758年5月27日
官位従三位、中納言
主君桃園天皇
氏族一条家醍醐家
父母父:一条兼香、母:家女房、養父:醍醐兼潔

経歴

太政大臣一条兼香の庶子として生まれる。寛延3年(1750年)に叙爵した。宝暦元年(1751年)に未だ男子がなかった右大臣醍醐兼潔の養子となるが、ちょうど同じ年に兼潔に実子の冬香が誕生したため、冬香は兼純の養子となった。兼純は冬香が成長するまでのいわゆる中継ぎ的な当主であったと思われる。


宝暦5年(1755年)に従三位左近衛中将となって公卿に列し、宝暦8年(1758年)には権中納言に任じられたが、同年12歳で早世した。家督は養子の冬香がそのまま継いだ。

関連タグ

朝廷 公家 一条家 醍醐家


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醍醐経胤醍醐兼純醍醐冬香
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