1967年から1971年まで『週刊少年キング』誌上に連載された、梶原一騎原作の漫画作品および、それを原作に東映東京撮影所の手によって制作され、1969年から1971年にかけてTBS系列ほかにて放送されたテレビドラマ。
概要
「柔よく剛を制す」をテーマにスポーツ柔道の世界で成り上がっていくサクセスストーリーであると同時に、実践格闘術としての柔道の強さを求めて様々な異種格闘技との決闘に挑む、自称「本格柔道まんが」である。
梶原一騎作品のお約束とも言える刹那的な師弟関係、後の時代の感覚では倫理感を疑われるような展開の数々、そして「本格柔道まんが」を謳っていながら柔道のルールすらまともに把握していなさそうな物理法則を無視した必殺技の応酬は語り草となっている。
【「巨人の星」の内容は、とても野球の試合だとは思えない】という批判は有名だが、これの柔道版だと思ってもらえばいい。柔道ってこんなに恐ろしいバトルだったのか…
漫画版の作画を担当していた永島慎二は連載の途中で降板してしまったので、その続きは別の人・斎藤ゆずるが絵柄を似せて描く事となった。
この連載はラスボスとの試合直前、睨み合った瞬間で終了するという驚愕の展開で、時を改めて「柔道一直線 大完結編」として結末(恩師・車周作の死去)が描かれた。
その後も原作者のスキャンダル関係もあり、忘れられた漫画になっている。
映像化
テレビドラマ版では原作に登場する超人的な必殺技を見事に実写で再現して見せた。
映像の派手さを求めるがあまり、原作にないオリジナル技を始めとした破天荒な演出で溢れ返ることになり、後年になって物笑いの種にされることも多い。「足でピアノを演奏するシーン」等が有名。
だが、この作品で培われた映像技術や制作側の内情等が、後の『仮面ライダー』の骨子となったことは無視できない事実である。
また、元々は視聴率が取れなくなって打ち切られた時代劇・妖術武芸帳のピンチヒッターとして作られたものだった。ゆえに3ヶ月で終わるはずだったが、視聴率が恐ろしく上がったため、1年9ヶ月にわたって放送出来た。
なお、元々は東京ムービーが映像化権を得ていたのだが、東映側が頭を下げて譲ってもらっている。
当時絶大な人気を博したこの作品が現実の柔道界に与えた影響は良くも悪くも大きい。
ブームに影響されて柔道入門者が急増し、中には金メダリストになった柔道家もいる。
その一方で荒唐無稽すぎる演出や展開により、歪んだ柔道観を世間に広めた元凶として非難もされている。
その後、仮面ライダーへ
映像版のスタッフ・キャストはプロデューサーの平山亨や佐々木剛など後の仮面ライダーシリーズに受け継がれている。目立つ所では、一文字隼人(佐々木剛)のファイティングポーズは「柔道一直線」からの流用。
「相手がスポーツマンだったら人間離れした技でも殺す訳にはいかない」という縛りから、「相手は脳改造された怪人だったら、むしろ殺すべきではないか」という発想へも繋がっている。