概要
健康優良児の選出・表彰制度は、強い兵隊や、強い兵隊を生む母親を育成していくことを目標として、国の後援のもとで1930年に始まった。制度は戦後も残り、各地でいろいろな派生形を生みながら、1978年まで続いていた。
審査の対象は基本的に小学6年生であったが、派生形では中学生や高校生も対象になることがあった。
恥ずかしい審査会
各学校では、通常の身体測定や日頃の成績などによって男女1名ずつの健康優良児が選出され、彼らは学校の代表として市や県のレベルの審査会に参加した。この審査会では、一般的な発育の具合や運動能力などに加えて、性器や乳房のサイズなどプライベートな部分まで測定されることがあり、子どもにとっても恥ずかしい審査であったことが有名である。
性的成熟度に関するデータは医学的に重要だが集めにくかったため、健康優良児の審査会という場を用いてデータの収集がなされていたのだと考えられる。
典型的な審査会の内容
まず審査が始まると、女子はパンツとブルマだけ、男子はパンツ一枚だけを残して服を脱ぐように指示され、男女ともに上半身裸にさせられた。そしてその状態で、体力テストのような運動能力検査を体育館でおこなった。小学生とはいえ、6年生の健康優良児ともなれば女子はすでに胸が膨らんできているのが普通であったが、ブラジャーを着けることもできず、乳房丸出しで運動しなければならなかった。なぜそうさせていたのかは不明である。
続く身体検査では、一般的な測定項目以外に、女子は乳房、男子はおちんちんの検査があった。女子はそのままの格好で、胸の膨らみの大きさや形状などを測定された。一方、男子はここでパンツを脱いで全裸になり、おちんちんの長さや太さなどを測定されたほか、包皮の剥け具合などをチェックされた。おちんちんのサイズは平常時を基準としていたので、勃起してしまった場合は元に戻るまで待たなければならず時間がかかったという。
ここまでの検査は基本的に男女別でおこなわれたが、しっかりと区切られているわけではなかったので、異性の検査のようすが見えることもよくあったようである。
最後に、同じ学校の男女がペアになって、医師や役人などで構成される審査員による面接を受けた。この面接もそのままの格好でおこなわれたので、このときに初めて同じ年頃の異性の裸を間近で目にした児童も多かったようである。しかもここでは、男子だけでなく女子もパンツを脱がされ、さまざまな姿勢や簡単な運動をさせられることがあった。女子を全裸にさせて、ブリッジや前転・後転など、股間のわれめが開いているところがよく見えるような姿勢や運動をさせたのは、単に審査員が見たかったからというだけだったのではないかとも言われている。
その後
このような恥ずかしい審査を受けた健康優良児の多くはそのことについて話したがらなかったので、審査の実態が世の中に広く知られることはなかった。一部の雑誌が元健康優良児へのインタビューによって暴露記事を書いたが、そもそも子どもに性的プライバシーがあるという考え方が希薄な時代であり、健康優良児に選ばれることは名誉なことだとみなされていたため、審査会を問題視する動きは広がらなかった。インターネットが普及してようやく、ネット上に書き込まれた体験談などからその実態が知られるようになったのである。