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愛国心の編集履歴2019/10/25 19:10:25 版
編集者:彼我花 宗純
編集内容:パトリズムとの整合性に関して

自分の生まれ育った愛する気持ちの事。

"Patriotism varies, from a noble devotion to a moral lunacy." - W.R. Inge

愛国心といっても様々だ。崇高な献身から、道徳上の狂気まで。 ―― ウィリアム・ラルフ・イング

詳細

「国」という言葉が、「時の政府」「国民の集団」「土地」「これら全部」など非常に多義的であるものだから、愛国心という言葉も当然多義的なものである。

「政府への服従こそ愛国である」という人もいれば、「伝統文化の保全に力を尽くしてこその愛国者」という人もいる。愛国者を自称しながら政府を痛烈に批判する人もいるし、愛国心を根拠として抜本的な改革を推し進める人もいる。

このように多義的な言葉であるから、各々が都合の良いように勝手に意味を定め、独自の「愛国心」を振りかざし、自分を含むいろいろなものを褒めたり貶したりする。

体制側は愛国心を根拠に忠誠を求めるし、反体制側は愛国心を掲げて同志を募るのである。

"The nation is divided, half patriots and half traitors, and no man can tell which from which." - Mark Twain

愛国者と売国奴で国が真っ二つ。おまけにどっちがどっちか誰にも分からない。 ―― マーク・トウェイン

備考

色んな意味で混乱がおきる最大の原因は、ほとんどの人間が愛国心(=ナショナリズム)というイデオロギーと、郷土愛(=パトリズム)という情緒を混同していることが最大の原因と考えられる。

※画像はイメージです。

以下は伊藤計劃の著書からの引用である。

『みんなのために戦う。国民国家の誕生までは、その動機は買い物列の最後尾だった。』

『つまり、自分の国を守るために自らを犠牲にするという精神自体は、つい最近発生したものにすぎない。』

『そういうわけで、考えてみれば当たり前なのだが、一般市民にとって愛国心が戦場に行く動機になったのは、戦争が一般市民のものになった、言うなれば民主主義が誕生したからなのだった。自分たちの選択した戦争なのだから、そこに責任が生ずるのは当たり前だ。その責任が、愛国心というやつだった。

『それだって原理的には、自己犠牲であり、愛他行為であり範囲を限定した利他行為だ。つまり、戦争はによって戦われ得る。生存の適応と相いれないと思われた愛他精神と殺人衝動とが、ここで奇妙な矛盾を解消してしまうのだ。

(早川書房「虐殺器官」P369~370から一部抜粋)

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