梨(駆逐艦)
なし
駆逐艦「梨」
川崎重工業神戸工場にて建造され、1945年3月15日に就役。
5月25日には本土決戦に備えた奇襲艦隊である海上挺身部隊が新設され、梨もこれに編入されるが、大戦末期の燃料枯渇状態にあってまともな訓練も行えない状態であった。
7月28日、平郡島北岸沖で停泊しているところをアメリカ空母機動部隊の艦載機にロケット弾を撃ち込まれ、そのまま転覆沈没した。
護衛艦「わかば」
その後長らく放置されていた梨だが、スクラップとして利用するために1954年にサルベージが行われたところ、状態が比較的良好であった事が判明。防衛庁(現在の防衛省)はこれを受けてサルベージ業者から梨を購入、兵装を撤去し船体と機関を修復した上で、1955年に警備艦「わかば」として海上自衛隊に編入した(わざわざ名称を変更したのは、梨をひらがな表記してしまうと「無し」と誤解される可能性があったためといわれる)。この名前を有する日本の艦艇としては、初代神風型「若葉」、初春型「若葉」に次いで三代目となる。なおこの際、一度民間企業に払い下げられた艦艇を国が高値で買い戻した事が国会で問題とされた。
元々同じ艦であるという事から、わかばにはかつての梨の乗組員が優先的に配属されたという。
当然ながら同型艦は他に存在せず、海自も運用には悩まされた。引き揚げ時の状態は良好とされていたものの、念入りにレストアしたはずの機関は最後まで不調で、ひどい雑音を出し続けるような状態だった。「結局、梨(わかば)をわざわざ再生したのは、海自が旧軍の後継組織である事を示したかっただけなのでは?」という意見も多い。
初期は無兵装の練習艦として運用されていたが、1957年には他の警備艦同様にアメリカ式兵装と電子兵装を施される第二次改装を受け、乙型警備艦DE-261となった。1968年以降は実験艦として様々な新兵器のテストを行った。1971年3月31日除籍、その後再び民間企業に払い下げられ解体されている。