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今上天皇の編集履歴

2019-11-30 02:28:38 バージョン

今上天皇

きんじょうてんのう

第126代天皇。明仁上皇の第一皇子。諱は徳仁。昭和35年(1960年)生誕、令和元年(2019年)即位。治世は令和時代。

はじめに(注意)

「今上天皇」とは、一般名詞としては「現在在位している天皇」の意味である。ちなみに、天皇が崩御(死去)された後、追号(諡号、“昭和”など)が贈られるまでの間は「大行天皇(たいこうてんのう)」と呼称される。

史記秦始皇本紀に「今上知天下(帝(みかど)は天下の全てを知るお方である)」とある。

単に「今上」あるいは「当今」のみでも敬称を伴う呼称として用いられる。


しかし実際上は、当代の天皇に用いられる、名前の代わりである。

なお今上天皇(もしくは今上陛下)とは歴史書や辞書、教科書では使われるが、日常会話において実際使われる事や目にかかる事は少ない呼称で、「天皇陛下」と称されることが多い。なぜならば天皇陛下といえば一人しかいらっしゃらないからである。

ただし、教科書や百科事典など、歴代の天皇と併記する場合には当然、今上天皇と書かれる。

今上天皇の諱(本名)をみだりに用いることは不敬とされるが、論文著者としての名前や、歴代の他の天皇や他国の元首との比較、海外報道の翻訳、地位や「制度」としての天皇と個人としての今上天皇を明確に分ける必要のある法的な議論で必要以上に言い換え・書き換えることは逆に混乱を招きかねないうえ慇懃無礼(過剰に丁重に扱う余りかえって馬鹿にしているように見えてしまうこと)になりかねないので、注意すべきである。本記事でも、必要最低限と思われる部分では諱を記す。

なお、現在用いられている元号は「一世一元の制」により事実上の追号(亡くなられた後に使われる名前)となっているため、今上天皇ならびに存命の上皇を指して元号の名前で呼ぶのは不敬であり、使用してはならない。


西洋圏の訳語では、しばしばそのまま「kinjō Tennō」と表記されていることもあるが、基本的には一般的な君主の表記に従い「HM(またはHIM) The Emperor (of Japan)」と称される。現在即位している君主に対しては「The」をつける慣習があり、これが退位または崩御した天皇と異なる点となる。冒頭の「HM」は「His Majesty(女性天皇の場合はHisがHerになり、HIMのIはImperialを現す)」の略で「陛下(皇室の陛下)」を現す。


現在、今上天皇と呼ばれるのは、令和元年(2019年)5月1日に即位された、第126代・徳仁天皇である。


pixivタグとして

平成時代につけられた場合、もっぱら当時の今上天皇=平成時代の天皇陛下(明仁天皇、現在の上皇陛下)を指すタグとなっていた。

令和時代につけられた場合(および平成31年4月末の若干のフライング)は、今上天皇(徳仁天皇)に関する創作物を示すタグとして機能している。

このため、過去の作品を検索する際には注意が必要である。


基本情報

御名(諱)徳仁(なるひと)
御称号浩宮
誕生昭和35年(1960年)2月23日
践祚令和元年(2019年)5月1日
即位礼令和元年(2019年)10月22日
大嘗祭令和元年(2019年)11月14日・15日
出身東京都千代田区千代田
宮殿皇居宮殿
父親明仁上皇
母親美智子上皇后
皇后雅子(小和田雅子)
皇女敬宮愛子内親王

ご生誕・皇太子時代

昭和35年(1960年)2月23日、明仁親王(現・明仁上皇)の第一皇子として東京都千代田区千代田の皇居・宮内庁病院にて生誕。母は現在の美智子上皇后。称号は浩宮、お印は梓。


「親子別居」というこれまでの皇室の慣習を破り、乳母をつけることなく両親のもとで養育された。昭和57年(1982年)に学習院大学文学部を卒業、同大学院修士課程に進学された。翌昭和58年(1983年)からイギリス・オックスフォード大学に2年間留学、テムズ河の水運の歴史について研究された。当時皇位継承順位第2位の皇族の留学は初めての試み。


昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇の崩御、皇太子・明仁親王の即位に伴い皇太子となられる。平成5年(1993年)、皇室会議において婚姻の相手に外交官・小和田恒の長女である小和田雅子を内定。同年6月9日に結婚の儀が執り行われた。

成婚8年後の平成13年(2001年)12月1日、雅子妃との間に長女・敬宮愛子内親王が誕生した。


平成28年(2016年)7月13日、明仁天皇が宮内庁関係者に「譲位」の意向を示された。そして、国民的な議論を経て平成29年(2017年)に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が国会において成立公布。平成31年(2019年)4月30日をもって当時の明仁天皇が皇太子・徳仁親王に譲位、翌5月1日の元号「令和」改元に合わせての即位が決まった。


即位後

明仁天皇の譲位に伴い、令和元年(2019年)5月1日午前0時をもって第126代天皇に即位された。その後の剣璽等承継の儀・即位後朝見の儀は全局生中継で報道され、インターネットの動画配信サイトでも配信された。

10月22日、即位の礼の中心である「即位礼正殿の儀」が挙行された。儀式には約190ヶ国の国家元首や王族、代表者、各界の著名人など約2000人が出席。当日は朝から雨天だったが、儀式が始まった午後1時頃になって皇居周辺上空が晴れ虹も確認された。


様々な「初めて」

  • 初めての戦後生まれの天皇
  • 初めての親元で育てられた天皇
  • 初めての留学経験のある天皇

関連タグ

令和 天皇 陛下 君主


皇位

第125代第126代皇位継承順位第一位
上皇明仁今上天皇皇嗣秋篠宮文仁親王
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