概要
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。1980年代末にジョゼフ・メトカーフ3世中将が提唱した打撃巡洋艦構想にその起源を有するが、これは徹底的なステルス化設計と大量のVLSの搭載を特色としていた。1990年代中盤、この構想は、時の海軍作戦総長ジェレミー・ボーダ大将に取り上げられ、アーセナル・シップとして具現化した。打撃巡洋艦構想では独立作戦能力が確保されていたのに対し、アーセナル・シップ構想では乗員もセンサーも最低限に留められ、索敵・測的・誘導などは戦術データ・リンクや共同交戦能力などを介して外部からもたらされる情報に依存するという、極めてラジカルなコンセプトであった。
見直し
2001年11月、見直された新計画のもとで、CG-21はCG(X)、DD-21はDD(X)と改称され、さらにフリゲートの後継となる新艦種として沿海域戦闘艦が追加された(これが後の、フリーダム級・インディペンデンス級のもとになった)。
そして、ノースロップ・グラマン社が全体のリーダーであり、レイセオン社がシステム・インテグレータとなっている。またコスト上昇に伴い、建造予定数は、DD-21時代の32隻から、DD(X)では24隻、さらに8隻に削減されていた。2005年11月、海軍次官はフェーズIVでの2隻の先行建造を承認したが、これらはCG(X)に向けての技術実証艦に留められ、以後の建造は行わず、駆逐艦の更新は既存のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の追加建造によって補う計画とされた後、2009年4月、1隻が追加された3隻で建造終了することが正式に決定された。またその後、CG(X)も計画中止され、こちらもアーレイ・バーク級フライトIIIによって代替されることとなった。
高度な技術に頼りすぎた一因とも言えるだろう、たぶん・・・・。
2016年5月20日に海軍にネームシップ「ズムウォルト」を引渡し、10月15日に就役。同年11月、パナマ運河で故障内で故障し、近くのアメリカ海軍施設まで曳航されたこともあった。
同型艦
DDG-1000 ズムウォルト⇒エルモ・ズムウォルト・ジュニア(下記参照)の名前からとった。
DDG-1001 マイケル・モンスーア⇒2006年のアフガニスタン戦時中に、仲間を手榴弾から守り戦死したシールズ隊員の名前からとった。
DDG-1002 リンドン・ベインズ・ジョンソン⇒第36代アメリカ合衆国大統領の名前からとった。
エルモ・ズムウォルト・ジュニア
エルモ・ズムウォルト・ジュニア(Elmo Zumwalt Jr)はアメリカ海軍の軍人。
1943年8月に太平洋作戦・訓練司令部に勤務し、1944年1月にレイテ沖海戦に参加した。
戦後の1965年には、第7巡洋駆逐艦隊司令官に就任。ベトナム戦争に参加した。1968年10月、中将に昇進し、ズムウォルトはクレイトン・エイブラムス軍事援助司令部総司令官の良き相談役を務めた。1974年6月29日、退役。
2000年1月2日、ノースカロライナ州ダーラムにあるデューク大学医療センターで亡くなる。海軍奉職中、長年にわたって吸い込み続けたアスベストが原因と見られる悪性中皮腫が死因とされる。