アーレイ・バーク級
あーれいばーくきゅう
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。イージスシステムおよびトマホーク武器システムを搭載しており、元来はイージス艦として防空艦の任務を想定していたが、戦略環境の変化に伴い、現在では、海賊の取り締まりやトマホークによる対地攻撃など、様々な任務を遂行している。
高価なイージスシステム搭載艦ではあるが、効率的な設計により、実に60隻以上にも及ぶ大量建造を実現した。なおこれは、第二次世界大戦後にアメリカ海軍が建造した水上戦闘艦としては最多である。計画では94隻の建造が予定されている。
本級は継続的な改良(後述)を続けており……
- イージスシステムによる優れた防空能力
- 残存性向上の為の上部構造物の全鋼製化
- 戦後型駆逐艦で初となる部分装甲化
- ステルス性を考慮して箱型マストや平面を多用した船体設計
- トマホーク巡航ミサイルによる対地精密攻撃能力
これらに加え、後期建造艦では多目的ヘリコプターを搭載、さらに現在ではミサイル防衛能力も保有しつつあり、あらゆる種類の戦闘に対応できる優秀な戦闘艦となった。
一方でイージスシステムを前提とした船体設計を行った結果(前級であるタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦がスプルーアンス級駆逐艦の船体を土台としており、後付けでイージスシステムを搭載していたことから船体限界が生じていた)、重量面で苦慮することとなってしまい、主錨・副錨・揚錨機を1基ずつ(海上自衛隊における乙型警備艇クラスのもの)しか搭載していない。
なお、2005年にスプルーアンス級が退役したため、アメリカ海軍が保有する駆逐艦は本級とズムウォルト級(2016年度就役)のみである。
バリエーション
フライトⅠ(DDG-51~71)
初期型。こんごう型護衛艦のベースになったのがこれ。正確にはDDG-51のみがフライトⅠで、52以降はヘリ甲板でのLAMPSヘリコプターへの補給に対応した小改良型のフライトⅠA。
本級の後継となる筈だったズムウォルト級が建造費等の異常な高騰により建造予定を早期に打ち切り、ズムウォルトの準同型艦でタイコンデロガ級の後継艦CG(X)の開発中止を受け、本級の更なる増産が決定された。
改良型フライトⅢが現在建造、就役中のほか、その先のフライトⅣの計画もあるらしい。
しかし本級は良く言えば実績十分、悪く言えば設計の古さが隠し切れなくなっている艦であり、デアリング級など諸外国の最新型に比べてどうしても見劣りする(フライトⅡAの時点で既に艦内容積がいっぱいいっぱいらしい。この先大丈夫か?)。
さらに中国海軍の急速な発展と増強、ロシアのウクライナ侵攻等で正規軍とやり合う可能性が急上昇し、戦略の見直しを迫られる。結果的に非対称戦への対応等の理由で、上述のハープーンを撤去したのが完全に裏目に出てしまった。
対艦攻撃能力を補うためか、SM-6やトマホークは、対艦ミサイルとしても使えるようになっている(かつて対艦型トマホークは存在したが、当時の技術では性能不足だった)。他にもESSM等には、対水上モードが存在するため、威力は劣るが対艦攻撃に転用可能。
上記の問題もあり、現在はタイコンデロガ級とアーレイ・バーク級の後継として、DDG(X)の計画が進んでいる。
ネームシップの艦名の由来となったアーレイ・バーク(Arleigh Albert Burke)は、アメリカ海軍の軍人。最終階級は大将。
太平洋戦争において第23水雷戦隊の司令官となり、日本海軍相手に奮戦した。
その際、麾下の駆逐艦を当時艦隊行動できる限界とされていた30ノットを超える31ノットで走らせ、「31ノットで航行中」と打電したことから、「31ノット・バーク」とあだ名されるようになった。
終戦後、最初は反日的・嫌日的な態度を取っていたが元日本海軍中将草鹿任一と知り合い親交を持つようになると、以前とはうって変わって親日家となり海上自衛隊創設に協力している。
1955年8月、アメリカ海軍のトップである海軍作戦部長に就任。在任中は後に「アメリカ原子力海軍の父」と称されるハイマン・G・リッコーヴァー提督を支持して原子力潜水艦の開発を推し進めた他、SLBMの開発も推進し、歴代の海軍作戦部長の中で唯一3期6年の長きにわたって務めた。
1961年8月、海軍作戦部長からの退任と同時にアメリカ海軍を退役。
1991年、アーレイ・バーク級の1番艦「アーレイ・バーク」が就役。就役式典にはバーク本人も出席した。
1996年1月1日、ベセスタの海軍病院で死去。享年94歳。
彼が死去した際には哀悼の念を表するため、就役済の全アーレイ・バーク級駆逐艦が、上記のエピソードにちなみ、1分間、31ノットで航行した。