FC-1が生まれるまでに
中国編:強化J-7を目指して
時代は1980年代、ようやくJ-8の初飛行を遂げた中国だったが、こんなもので満足している訳にはいかなかった。MiG-29やF-15といった更なる高性能機が続々と登場し、ただでさえ技術やノウハウで遅れをとる中国は、これ以上の差を広げるまいと躍起になっていた。
そのままでは差は開く一方であったのだが、幸いベトナム戦争終戦時の折衝でアメリカとの関係が良くなっており、この際アメリカ企業の技術を取り入れ、国内技術の向上と空軍の近代化を進めるべく、空軍主力機の大幅改修計画『スーパー7計画』を立案した。が、何も進まない内に天安門事件が起こり、この制裁として作業は放棄され、ほぼ白紙の企画書だけが中国に残された。
パキスタン編:インドへの危機感
アフガニスタン紛争で、パキスタンの果たした役割は大きかった。パキスタンはアフガニスタンで秘密工作を行うCIAの前進基地となり、秘密裡に様々な介入を行った。もちろん、タダで協力させた訳ではない。見返りにはF-16(当時は最新鋭)など、パキスタン政府には様々な恩恵がもたらされた。
80年代も後半に入るとインドではMiG-29の配備が始まり、パキスタンとしては対抗する新型戦闘機の登場が待たれていた。もちろん一番の有望株はF-16増備だったが、その頃は運用寿命が尽きつつある空軍主力機の更新計画も立てられており、これが『プロジェクト・セイバーⅡ』である。内容は、同じくグラマンの手掛けるスーパー7計画で完成した機を導入する事だった。
しかし天安門事件以降、米中関係が悪くなると計画が放棄され、自動的にパキスタンの更新計画にも不都合が出てしまった。また、パキスタンでも秘密裡に行っていた核開発が明るみに出てしまい、こちらも対米関係は悪化してしまう。当然、F-16導入も召し上げである。
当座は新型J-7(J-7PG)を配備して戦闘機勢力を補い、将来的には全く新しい戦闘機を開発する事にした。中国共々、パキスタンでも必要性は高まっていたのである。
「ファイター・チャイナ・ワン」
80年代、中国で主力を務めていた戦闘機はJ-7であった。
J-7は原型機(MiG-21F-13)の姿をよく残しており、中国では多目的型レーダーFCS開発が遅れていた事もあって、本家とは違った空戦専門の格闘戦戦闘機となっていた。しかし時代が下り(具体的にはベトナム戦争勃発以降)、強力なレーダーやBVRミサイルが当然のように普及してくると、簡単なレーダーしか扱えないJ-7には荷が勝ちすぎるようになってしまった。
そこで中国は1991年、主力機J-7の旧式化は目に見えた問題として、スーパー7開発計画そのものは独自による存続を決定。これが「Fighter China-1」開発計画となった。1995年、スーパー7計画でそれぞれ残された中国とパキスタンは、FC-1開発に関わる覚書を交わし、互いに研究費用を折半して研究成果を持ち寄り、FC-1計画存続を目指す事にした。