都井睦雄
ついむつお
人物像
1917年3月5日に岡山県で生まれ、幼くして両親が結核で他界し、姉とともに祖母に引き取られ、後に津山事件が起きる貝尾集落に引っ越していた。
学業はそこそこ優秀であったが、都井を溺愛する祖母に進学を反対され、次第に引きこもるようになった。
その一方では、美白で容姿が優れており、青年に成長した頃には村の女性達にモテるイケメンとなっていた。
事件の経緯
20歳になって受けた徴兵検査で肺結核の診断と事実上の不合格が突きつけられた事をキッカケに人生が転落。
当時結核は不治の病と呼ばれて結核患者に対する偏見や差別が横行しており、都井もその例外ではなかった。
徴兵検査の結果があっという間に村中に広まり、今まで夜這いによって関係を持っていた女性達が次々と掌を返して都井の悪口を言うようになってしまう。(当時は徴兵は一種のステータスで
強い男の要素でもあった。しかし、病気による不合格であるため理不尽な差別に対する恨みに関しては同情はできる)
更には病気が原因で農作業等もできずにふらふらと無為に生きなければならなくなったために、集落の人々からは白い目を向けられて極力関わらないように距離を置かれて孤立。
結核患者への差別、不合格への嘲笑、夜這いの関係だった女性達の裏切りによってプライドを傷つけられて人生に絶望。
自身を蔑ろにする村人達に復讐するため、あらかじめ日本刀やライフル等の凶器を揃えて犯行を計画。
一度は計画を邪魔されたものの、既に堕ちるところまで堕ちた執念によって頓挫することなく密かに準備を完了させた。
そして、1938年(昭和13年)5月21日にわずか2時間で30人もの村人を次々と惨殺。
犯行を終えた後は荒坂峠で自らの心臓に猟銃を当てて自らの命を絶った。
関係ない者、抵抗しない者には刃を向けなかったといい
最後に訪れたとある家でそこに住む少年に「勉強してかしこくなれ」と励ましの言葉を送って自殺した為、精神状態は考えられているよりも正常だったと思われる。