概要
この名称は書籍のタイトルなどに使用されているが、この項目では特にpixivにて使用される漫画作品と、ピクシブ百科事典で使用されると思われるネットスラングに絞り説明を行う。
漫画作品
甲斐谷忍氏による漫画
こちらを参照⇒作品は無敵の人(麻雀漫画)
きづきあきら&サトウナンキ夫妻による漫画
奈落の羊を描いた、きづきあきら&サトウナンキ夫妻による無敵の人によって無敵の人を始末するという凄惨な作品であり、月刊アクションにて連載中。
内容
「この世で一番怖いのは、失うものが何も無い人――――」。女子高生・高瀬いのりは、引きこもりの兄から性的暴行を受けていた。ある日、謎の男・ニルが現れ、無差別殺人を企てていた彼女の兄を殺害する。
関連項目
pixivコミック無料連載マンガ(無料掲載:第一話のみ)
ネットスラング
「(自身の社会・職業的な肩書きや生命として)後先がない」「価値観の崩壊」等の理由により「犯罪に走るのも厭わない」人物を指すネットスラングである。
この状態に陥った人間は無関係の他人に危害を加える事が多く、被害に遭った側は本当にたまったものではない。
発祥
この「無敵の人」の発祥はひろゆきのブログ記事から広まったと言われる。
なお、発祥元であるひろゆき自身も、後に「無敵の人」に繋がる心の闇の深さが当時想像していたよりも深刻なものであったと自覚し、見解を改めている。
概要
社会の闇に心を蝕まれ過ぎて"真っ当な幸せ"の感覚を得られなくなり、「もう何を失っても痛くない、自分の未来や命すら本気でどうでもいい」という虚無感に飲み込まれてしまった状態を指す。
その為「無敵」と言っても「誰も敵わない」という意味ではなく、「致命傷を負わされても一切痛みを感じない空虚」という意味であり、むしろ積極的に敵を作っていく傾向にある。
原因としては千差万別だが、「家庭環境・無職・挫折・孤独・理不尽などに起因する虚無感の肥大化」や「ネット弁慶の加速による攻撃中毒の末期化」などが挙げられる。
最悪なケースでは上記の意識が極まった結果「もうどんな罪に問われても構わない」「自分は死刑になっても良い、いっそ死刑にしてくれ」という思考に走り、あらゆる刑罰が障害足りえず何をやってもノーリスクな精神状態になった末、無差別殺人事件などの凶悪犯罪まで引き起こす事態にまで発展するケースもある。
古くは都井睦雄や朝日平吾が有名。戦後には新宿西口バス放火事件などが発生しているが経済成長する時代の中の例外的パターンであったことや過激派のテロが目立つなど、現代よりも犯罪が多かったことであまり注目はされなかった。また、新左翼はこう言った人をリクルートして職業革命家にする能力に長けていた為、新左翼が力を持っていた時期は結果的に過激派の活動自体がガス抜きとして機能してこうした無敵の人による事件は少なかったともされている。
だがバブル崩壊以降の社会の困窮により、勝ち組・負け組を煽るテレビや週刊誌を始めとしたマスメディア、2ch脳(まとめブログ)的な価値観が定着。更にそれまでガス抜きとして機能してきた新左翼がソ連の崩壊や中国の改革開放政策導入の影響、警察の取り締まり強化や活動火の高齢化などで衰退したため、2010年代に前後して劇場型の無敵の人による犯罪が多発するようになり、殺人に至らずとも煽り運転や各種サイトでの誹謗中傷なども多発している。
社会に対する不満を抱いたり自暴自棄に陥った個人が凶悪犯罪に走る事例は海外にも存在しており、中国では明代末に虐殺を行なった張献忠から「献忠」と呼ぶ。
「無敵の人」とは万人にとって決して他人事ではなく、そうなり得る腐敗した社会や人間構造の中では、誰もが「無敵の人」になりうる恐ろしさを秘めている事である。
創作作品のキャラクターで当て嵌めるのなら、アメコミ等に登場するヴィラン(悪役)達が代表的と言える。
特にDCコミックの看板作品『バットマン』においては、過去のトラウマや挫折等が起因する形で心が狂気に支配されて最終的に犯罪者へと堕ちていくヴィラン達の心理描写等が丁寧に描かれており、ストーリーにおいて「誰もが何らかの原因によっていつヴィランへ堕ちてもおかしくないのである」という事を読者達に訴えている。
「無敵の人」によって発生した事件の例
ネットスラング2
どう言ってもどう捩じ伏せても全て同じ意味で解釈し、話が通じない説得不可能の狂人も無敵の人と呼ばれる事がある。
具体例
- あの子は俺のことが好きに違いない!→NO→「いやよいやよも好きのうち!つまり両思い!」
- →YES→「両思い!」
- 所謂ストーカー思考
- 力こそ正義!→勝つ→「俺の方が強かった!つまり俺の方が正しい!」
- →負ける→「お前の方が強かった!お前は正しい!つまり俺の思想は正しい!」
- この手の思想の持ち主は暴力しかない自分を自己肯定するために弱肉強食を掲げているだけであることが多いため土壇場でヘタレたり、自分を素で別枠に置いていることも多く、ここまで突っ切っている者は稀である
これに非常に似ているのは魯迅の小説「阿Q正伝」の愚か者の主人公・阿Qが持つ「精神的勝利法」である。
対処法
無い。
まさに「害意を満たすためなら死刑すら厭わない」心情となっているため、そのままでの説得は不可能に近く、逮捕・拘束したり動けないダメージを与えるなど、物理的に行動不能な状態にしない限り、暴走を止める事ができない。
だが"何の理由も前触れもなく襲われる"人間の大半は、そうした反撃・対処を満足に出来るわけがないため、無敵の人の台頭が殊更に危険視されているのである。
土壇場で自分の身を惜しんだり、現実を認められないから屁理屈を捏ねて無理矢理同じ意味で解釈している似非であることも多いが、被害を受ける側にとってはどっちでも同じこと。相手にするだけ無駄であるため、社会規模で対策を講じる事が求められる。
関連タグ
絶望、不幸:これによって心が打ちのめされた結果、理不尽が理不尽を生む負の連鎖に繋がると思われる。
アーサー・フレック、非理谷充、殺島飛露鬼、ガムテ : 創作物における無敵の人。