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津山事件

つやまじけん

「津山事件」は、1938年(昭和13年)に発生した大量殺人事件。
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津山三十人殺しなどとも称される。
近現代日本における、単独犯による大量殺人事件として現代まで長く語り継がれている。

概要

1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で都井睦雄によって引き起こされた事件で、刃物以外にも銃を使用して村民30名を約2時間で惨殺し、最後は都井の自殺で終わった。

事件の経緯

都井は集落の比較的ゆとりのある家に生まれであり、成績優秀ではあったが持病肋膜炎で夢を絶たれ、さらに農作業ができなくなった時期があったことや理解者だった姉の結婚などを機に次第に引きこもりがちになっていった。
都井は徴兵検査で結核を理由に丙種合格(事実上の不合格)になってから、それまで関係のあった近辺の女性たちにも塩対応をされるようになり、次第に都井は村人への殺意を抱くようになる。

ここまで書くと、都井に対してあまりに村人達が冷酷であるかのような印象を受けるが、当時結核は不治の病であり、伝染することが知られていたためすさまじい差別と偏見を以って語られており、発症者の家の前を通るときは速足で息を止めて歩くほどだった。
(が、結核菌は感染力自体は弱く、健康な人間が感染しても発症する事は稀である。やはり病そのものよりも人の差別と偏見、無知の方が恐ろしいと言えよう。)
加えて徴兵検査に受かることは「強く健康な男」というステータスであり、トラクター等の農業機械が普及していなかった時代の農業は人力に頼る事が多く、過酷な農作業に耐える労働力を必要としていた農村部ではことのほか重要視されていた。
そのような時代、都井は村人から「働けず女の尻ばかり追いかける将来性のない男」でしかなく、それまでイケメンの彼と快く肉体関係を持っていた女性達が手のひらを返して伝染する死の病を持つ人間を避けるのは当然といえば当然であった。

都井は散弾銃を入手し、山で射撃の訓練を積んだ。一度祖母の勘違いで警察の家宅捜査を受けて1度は武器を手放すが、知人を通じて再び猟銃や日本刀を調達した。

そして、婚約関係にあった女性との縁談を破棄され、その女性が別の村の男性へ嫁ぎ、里帰りしていた時に事件が発生する。

津山事件・最後の犠牲者


1938年(昭和13年)5月20日早朝、彼はかねてから準備していた大量殺人を実行に移す。都井は前日に電線を切っており、集落はちょっとした騒ぎになったが戦時下であるため停電はしょっちゅうであり、村人はかえって早く眠りについた。
最初に自宅で就寝中の祖母の首を断って殺害。その後はちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえつけた異様な風体で近隣の住宅に押し入り、子供から年寄りまで住民を次々無差別に殺害していった。

しかし、一部の住民は「お前はわしの悪口を言わんじゃったから堪えてやるけんの」と言われて見逃されている他、都井は最初から殺す人間を選んでいる節があり、単なる無差別殺人ではないという意見もある。
なお、都井が本来ターゲットにしていたのはかつて自分と関係を持っていたが結局別の男性と結婚した女性であったと言われているが、その女性は実家に都井が乗り込んできたときに逃げ出したことで難を逃れることになり無事であった。

都井は1時間半ほどの凶行ののち、隣の集落の家を訪ね、紙と鉛筆を乞うた。家人は都井の異様な風体に恐怖して身動きできずにいたが、以前から顔見知りだったその家の子供が紙と鉛筆を渡すと、都井は去り際に「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけたという。
その後3.5km離れた山に登り、遺書をしたためた後に猟銃で自殺。翌朝になって山狩りにより遺体は発見された。

上記のように、本来の標的を殺害できなかったことには悔いが残ったのか、遺書には「うつべきをうたず うたいでもよいものをうった」という無念が綴られていたという。また、自分の祖母を殺害したことについては「後に残る不びんを考えて」とされていた。

この様に、長時間の激しい運動を伴う犯行に身体が耐えられた事から「実は犯行時点で結核は一定以上回復していた、もしくは最初から誤診だった」説がとなえられる事もまれにある。また、犯行当時は既に結核は不治の病ではなくなっていたという話もある。
ただし、前述のとおり都井は農作業を禁止されるほどの肋膜炎を患っており、たとえ結核でなくとも、激しい運動は理論上困難である。そのような男が30人を死に至らしめ、山に登って自死したことから極度の興奮状態が病を凌駕したと考えるほかない。



事件後の影響


警察による検死が終わった後、犠牲者達の亡骸は一斉に村に返還されたが、あまりに犠牲者の数が多く、一家全滅してしまった事で葬式を上げる人間さえいない家庭もあった事から、各戸毎に葬儀が行える筈もなく、村人達は犠牲者全員(そのうち、ある家庭に嫁入りする予定であった女性は、まだ正式な婚礼をしていなかった上に、嫁ぎ先だった家が一家全滅してしまった為、故郷の実家へ引き取られる事となったという)を村を上げての合同葬で弔う事になったが、当然その中に都井と彼の祖母を含める事は許されなかった。

また、奇しくも合同葬が行われている最中に、警察から正式に都井が被疑者死亡による不起訴処分になった一報が齎され、会場では遺族や生き残った村人らの無念と憤怒の慟哭が飛び交ったという。

尚、都井の亡骸は実質的な保護者であった彼の姉が引き取ったものの、甚大な被害を受けた村民達の手前、集落の中の墓地に埋葬するわけにもいかず、最終的に自らの嫁ぎ先にして都井の生まれ故郷でもある加茂町倉見(現・津山市加茂町倉見)の村の墓地に埋葬する事になる。
が、「大量殺人犯に人並みの墓を立ててやるなんてとんでもない」という夫や親族の猛反対を受け、最終的に都井家の墓の傍に作った土饅頭の上に近くの河川敷の石を墓石代わりに乗せた非常に簡素な墓に埋葬せざるを得なかった。

それでも、日本の犯罪史上に残る程の大事件の犯人という事に興味を抱いた一部のマニアや、その悲劇的ともいえる経緯に同情した者などが、今でも時々、都井の墓参りに訪れるという事も珍しくない。なお、大量殺人犯とはいえ故人を偲んだ墓である以上、来訪するとしてもくれぐれも無礼のないようにすべきことは言うまでもない。
また、現地は何もない集落であるため「よそ者」が来る理由はたかが知れているため、訪れたとしても安易に村人に当時のことを聞き出すことは勧められない。

なお、2020年現在では墓の手入れをする者がいなくなり、墓地がすっかり荒れ果ててしまった。そのため祖母の墓石を含めて竹藪の中に埋まりつつある。このまま放置されれば墓地があったという痕跡すらも消えていくのは時間の問題と見られる。ただ周辺住民は既に事件の記憶が薄れたことや、あるいは当時を知る人間がほぼ居なくなったこともあってか、「いくらなんでも可哀想だ」という声も多く囁かれているという。

事件後、貝尾・坂元両集落では一家の大部分を亡くした事で離散した家庭や、一家全滅した家庭、被害は受けずとも都井家と遠縁であった故に集落を去らざるを得なくなった家庭も少なくなく、その結果働き手となる村民が著しく減少したことで、農作業や養蚕業を行うことが難しくなり、およそ6ヘクタールの田畑が耕作放棄地と化し、それらはどうにか遺族や親交のあった村人に分配され、村の運営者から支援を受けながらどうにか耕作や養蚕を続けたものの、生活はかなり苦しくなったとされる。

また、上述にもある通り、都井の姉をはじめとする親戚関係者は勿論の事、彼と親交がありながら殺されなかった者も、事件後に生き残った村人達からの心無い噂に苦しめられ、村八分に近い扱いを受けた例もあると伝えられる。中には親族共々集落から出ていかなければならなくなったり、二度と集落に足を踏み入れる事ができなくなった者もいたという。

そして、上記にもある都井の本来の標的であったが難を逃れた女性は、事件後、「事件の元凶となった張本人」と見なされ、やはり周囲から村八分同然の扱いを受け、集落を去る事となった。その後、事の経緯を知った嫁いだ家の親族からも疫病神扱いされて追い出されそうになるも、幸か不幸か「あの都井睦雄が、あれ程までの事をしても追い求めた女性なのだから、絶対に離すものか!」と夫が執心した事で離縁は避けられる事となった。しかし、結局周囲からの風評被害は避けられず、結局彼女は逝去するまで親戚を含む地域社会から孤立する羽目になったという。
尚、加害者、被害者双方にとって皮肉なことに彼女は90を越えて生き続けたという。

実行犯が死亡した上、彼と交際のあった者たちは周囲の目を憚って口をつぐんだので動機などは未だ分からない点が多い。本事件を題材にしたルポルタージュの一部にも創作の含まれた書籍もあり、現在でも不明な点が多い。

また、30人という被害者数は、明確に殺害された人数が判明している近代以降の日本の刑事事件の中では当時最多の人数であり(凶器殺人としては現在でも日本で最多)、日本の犯罪史上前代未聞の大量殺人となった。現代においても犯罪やフィクション作品、都市伝説などに影響を及ぼすこととなっている。ちなみに地元住民の伝聞では「30人以上死んでいる」という説もあるというが、その発言の真偽は定かではない。

関連タグ

津山30人殺し 津山三十人殺し

八つ墓村 SIREN

杉沢村伝説…1990年代後期頃にネットから囁かれた青森県で起こった殺人事件とされた都市伝説。事件内容と結末がこの津山事件との類似点の多さが指摘されている、事件の起きたとされた集落の都市伝説との相違と事実の判明で、何者かの創作で生まれた都市伝説である事が判明している。

類似・比較事件

山口連続殺人放火事件2013年7月21日発生。被害者数は津山事件と比べてば少ないが、事件の経緯が津山事件に状況が酷似している(限界集落、周囲との軋轢、被害妄想に陥る犯人など)。同じく犯人は自殺を考えていたが、その前に警察によって発見・逮捕され、後に死刑判決を下された。

京都アニメーション第1スタジオ放火事件2019年7月18日発生。当日中に33名の死者が確定(最終的に死者は36人となった)し、近現代以降における「公式に記録された、戦争行為以外における単独犯による大量殺人」の記録は当該事件によって塗り替えられることになってしまった(先の通り凶器殺人としては未だ津山事件が最大。爆発物や放火などは凶器殺人と区別されることもある。)

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