概要
人間の姿をして各地を徘徊し、家々のなかに入って人びとを病気にしたり、災いをもたらすと考えられている。
医療技術の発達していなかった古代では、病気は目に見えない霊的な存在によってもたらされると信じられており、特に流行病、治療不可能な重病は怨霊、悪鬼によるものといわれてきた。平安時代頃に中国の疫鬼の伝承が伝わり、疫病は鬼神によるものとの考えが生まれ、疫病神が病気をもたらすという民間信仰に至ったといわれる。疫病神は青ざめた老人や老婆の姿と考えられており、1人または5人一組などといった数人で町をさまよい、疫病をふりまくなどといわれた。
中世の朝廷では疫病を防ぐため、花が散ると共に疫病神が方々へ四散することを防ぐ「鎮花祭」、道の境で疫病神をもてなすことで都の外へ返してしまうという「道饗祭」といった祭事が行われている。このように災いを防ぐために疫病神を祀るといった行事は日本独特のものといわれており、近年においてもこうした祭事の事例があるほか、村の境に注連縄を張って疫病神の侵入を防ぐなどの事例を民俗資料に見ることができる。また『大語園』での記述によれば、毎月3日に小豆の粥を焚く家には、疫病神が入ってこないという。
また、厄介ごとを起こす人物や事物を比喩して「疫病神」と呼ぶこともある。
祭祀と護符
『拾椎雑話』によれば、延宝(1673年-1681年)のころ、疫病が流行して諸国に蔓延したので、大きなタケに四手(しで)をつけて国々から送り出す神事をおこなったという。この神事は一種の人形送りの行事とみられるが、疫病神を人形に見たてて追い出す民俗行事は現代でも日本各地でおこなわれている。
疫病除けとしては、鍾馗の図像を屋内に掛けて護符とする俗信があり、また、元三大師が鬼のすがたをした護符(角大師)など、さまざまな呪法・呪具が知られる。
余談
疫病神が5人一組で行動するという考えは中国に疫鬼である一目五先生が由来といわれている。