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曖昧さ回避編集


杉沢村とは?編集

インターネット黎明期からある都市伝説。その後フジテレビの番組『奇跡体験!アンビリバボー』で2000年にこの噂をスペシャル番組で取り扱い広く知られるようになった。


青森県のとある山中に存在したとされ、昭和初期にある一人の村人が発狂し、杉沢村の住民を惨殺した挙句に自ら自害して杉沢村は滅んだ・・・という。

この噂を元に怪談作品が作られたりするなど、怪談都市伝説ではポピュラーな部類に入る。


杉沢村の特徴とは?編集

語られる内容として次のような特徴があったとされる。

  • 朽ちた鳥居が村の入口にあり、その鳥居の下にはドクロにも似た岩がある。
  • 廃屋が今も残り、事件の血飛沫の跡が残っているらしい。
  • 村への道は一本しかない。
  • 村へ向かう道路に、『ここから先へ立ち入る者、命の保障は無い』と書かれた看板がかけられている。
  • 事件の隠蔽が図られて村そのものが名前と共に消され語られる事が無くなっていった。

判明したものと疑問・類似点編集

実のところ、「杉沢村」は実在していたのは確かである。だが、地図に村の名前が載った事が無い。

そう、事件を隠蔽するためにその存在が地図から消されたのではなく、元々載っていないのだ。

理由は正式な名称ではなく地域の人達が使う通称だからである。

地図には正式名称を載せることになっているので、通称なのだから載る訳がないのである。


「杉沢村」は現在の青森市大字小畑沢字小杉にあたる地域にあった集落『小杉』の通称である。

地域の人達は予てより小杉へ行く事を“杉さぁ行く”と言っていたが、その“杉さぁ”が訛って“杉沢”となり、それに集落を意味する“村”がついて「杉沢村」になった。(“村”は自治体としての『村』だけでなく、時に集落も『村』と呼称されることがある為)

なお現在でも青森市小畑沢には小杉の地名は残っており、番地も四つあり人も住んでいるが、「杉沢村」に該当する集落は無人になっている。


この集落は江戸時代には60軒余りの人家があり、300人くらいの人が居たが、天明の大飢饉で大幅に人口が減り、戦後はわずか4軒のみになってしまった。(うち1軒は離村が始まる前に転居している)

戦後復興とそれに続く高度経済成長に取り残され、無燈火地区(電気が引かれていない地区)であった事、すぐ近くの学校まで一時間半も掛かること、雪害が酷かった事などから残った3軒も集落を離れる決意をし、最後の1軒が青森市内に転居し廃村になったのは昭和43年頃の事である。


2000年に東奥日報の記者が取材に訪れた時には家が1軒だけあったが、それは最後に集落を離れた家族が夏場この集落で過ごすために建てた別荘である。(廃村になってもかつての住人が管理の為訪れるのは良くある事で、有名なのは岐阜県揖斐川町門入である。)

集落の入口にある鳥居はこの家族がかつて建てた物で、その傍らにある猿田彦神と彫られた岩(これが髑髏が浮き上がった岩と言われているもので、目印のお地蔵様とも言われるが、猿田彦神が彫られていた可能性が高い)の為に建てられたものと位置関係から推測できる。(東奥日報の記事に掲載されていた写真では、鳥居の少し右手階段を上がった所にくだんの岩がある。)

ただ、その家も2015年に篠田航一が取材に訪れた時には無くなっていたようである。

また集落の奥に一つだけあるとされているお墓は、この家族の一族墓である。

それにこの集落に至る道は一つしかないとも言われるが、現時点で杉木立の中を抜けていく林道を通るしかアクセスする手立てがないと言うだけである。

さらに「杉沢村」へは夜にしか行けない、昼だと分岐点が次々現れ結局道に迷い到達できないとも言われているが、東奥日報の記者も篠田航一も昼間に堂々と訪れている。


確かに「杉沢村」は実在し、それが青森市の小杉地区の一部にかつて存在した集落であるのは確かであるのだが、その集落は過疎化による限界集落となってやがて廃墟になった

この話だと都市伝説の杉沢村とはかなり異なっている。


実のところ廃村の類は役所にもきちんと住所から世帯主に至るまで記録されており(後々土地の権利関係の有無をはっきりさせる為)、市町村合併による統廃合でその名前が現在では使われなくなるのは少なくない。


噂の出処の謎編集

この話は横溝正史の「八つ墓村」とかなり似ておりそもそも「八つ墓村」のモデルとなったとされるのは、岡山県内の集落で1938年に起こった津山事件である。

杉沢村との類似点が多いのがこの津山事件である為、これを元に語られたのが杉沢村ではないかとみられている。

津山事件は当時は大事件として報道されていたが、その後の激動の時代もあり、戦後には「八つ墓村の元ネタ」として知られるのみでインターネット時代になるまで一般的には忘れられた事件となっていた。

そのため何者かが津山事件から創作したか、混同したのかもしれない。


東奥日報の調査では、1960年代頃に青森市小畑沢で殺人事件があったらしく、それに尾ひれがついていったものとみられている。(記事


また、実は青森県内では1953年12月に新和村7人殺害事件なるものが発生しており、この事件の後に同じ地区で三年連続で三回同様の事件が起きていた。なお、杉沢村とは全く別の場所である。

これらが八つ墓村すなわち津山事件を彷彿させる事から混同された形で杉沢村伝説が生まれた可能性があるという。


隠蔽され、地図からも消された話はるろうに剣心の京都編で相楽左之助が京都に向かう途中で偶然立ち寄った村の話とも似ている。


流通年代が意外と古く、インターネット普及以前から流通していたといわれ、1996年に友達から聞いたという弘前住民の証言もある。

1997年の時点でもネット上にネタが存在しているが、このサイトの内容は津山事件そのものであり、原型は津山事件に近いもので、各種設定は後代のネット民が加筆していったものの疑いが強い。

時のログ等が時代の流れで消滅している可能性が極めて高く(パソコン通信時代までさかのぼる可能性がある)、現在では追跡するのは非常に困難である。


これらを総括すると…


少なくとも1990年代以前からまことしやかに語られていたこの杉沢村伝説は、現実に起きた事件「津山事件とそれをモデルにした作品である八つ墓村」を「新和村事件」と混同したような形で年月が経つ毎に口伝により尾ひれがつき広まったものであるとすれば納得がいく…という事になる。


現在の杉沢村の状況編集

国土地理院が発行している地形図には「杉沢村」の表記は先述の理由から載っていないが、「杉沢村」がかつて存在していた場所は載っている。


グーグルマップやスーパー地形図などでは、鳥居のある場所を神社を表す地図記号との併記で「杉沢村」として表記している。


鳥居を入って直ぐの南側に土砂を採掘している場所が出来ている。


かつて田畑が広がっていた場所は森林になっているが、明らかに植樹されてできた小規模な森林が2箇所ある。


航空写真には2軒の建物が写っている。


「青森カントリー倶楽部」と言うゴルフ場がお向かいさん。


存在している場所は山中と言うよりも山裾から延びる居住域の一番奥と言った感じの場所。


1961年と1974年に撮影された航空写真では、鳥居を入ってすぐの場所に田畑が広がっており、解像度が悪いながらも建物も数軒確認できるだけでなく、1974年の写真でも田畑は大きく荒れていない事から、1968年頃に廃村になったと言う話でほぼ間違いは無い。


ゴミが不法投棄されている。


関連タグ編集

都市伝説 殺人事件  八つ墓村

犬鳴村…似た都市伝説。こちらははっきりした出処が分かっている。

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