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行かなきゃ

いかなきゃ

アニメ「ドラえもん」に纏わる都市伝説。 1996年9月23日の深夜に謎の回が放送されたと言われている。
目次 [非表示]

※不気味な表現や不確定な情報を含んでいます。


概要

「行かなきゃ」とは、アニメ「ドラえもん」のエピソードのひとつとされている回のタイトルである。1996年9月23日(月)の深夜に放送されたと言われている。

当時の「ドラえもん」の放送時間は金曜夜7時であり、無論、深夜に放送される事は有り得ず、本当に放送していたとしたら非常に特殊なエピソードと言える。なお、当時の新聞のテレビ欄にも掲載されていない

「行かなきゃ」の内容については様々な説があり、一番有名なものは、『深夜に突然「ドラえもん」の放送が始まり、何処かを歩いているのび太の映像が延々と流れた末、のび太が「行かなきゃ」というセリフを一言残して終わった』というものである。

普段ならエピソードの冒頭にタイトルコールがあるが、この回にはそれすらもなかった為、劇中唯一のセリフである「行かなきゃ」がタイトルの代わりとして知られている。

予告もなく深夜に突然放送されたにも拘わらず、「行かなきゃ」の映像を見たという体験談はネット上に多数存在しているが、当時の映像や公的な記録は残っていない為、ファンの間では「本当に放送されたのか? それとも単なる都市伝説なのか?」という議論が交わされている。

この様な奇妙な内容の回が何故放送された(とされる)のかは一切不明だが、「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄氏が放送に関わっていた、或いは彼の追悼目的で放送されたという説が最も有名。


追悼番組説

「行かなきゃ」が放送されたと言われている96年9月23日は、藤子・F・不二雄氏が亡くなった日である為、氏を追悼する為にテレビ局が放送したのではないかと言われている。つまり、「行かなきゃ」とは「天国(あの世)へ行かなきゃ」という意味だったのではないかという事である。また、亡くなる前に作っていたアニメを自分が死んだら流して欲しいと藤子F氏が頼んでいた、とも言われている。

明確なストーリーも無くセリフも一言だけという意味不明な内容だったのは、藤子F氏が急死した為、未完成の映像を流すしか無かった為ではないかと言われている。


のび太の声が藤子・F・不二雄氏の声に?

目撃談の中には『劇中で発せられた「行かなきゃ」という声は、当時の担当声優である小原乃梨子氏のものではなく、藤子・F・不二雄氏のものだった』というものが多く存在している。F氏は生前、のび太のモデルは学生時代の自分と公言していた為、自身の遺言をのび太に代弁させたのではないかと考察もある。


「行かなきゃ」はどのような映像だったのか?

「行かなきゃ」の目撃談を纏めると以下のような内容になる。細部は異なるが、のび太が「行かなきゃ」という台詞を発したという点は共通する。


目撃例1

のび太が10分位ずっと歩いており、いつもの空き地に続く道と周囲の風景が延々と続く。空き地にはジャイアンスネ夫出木杉しずか、ドラえもんが勢揃いしており、皆輝くような笑顔を浮かべている。そして、のび太は「行かなきゃ」という言葉を残して、みんなが待つ空き地に走っていった……というもの。


目撃例2

真っ暗な中をのび太が歩く映像が延々と続き、10分程経つと、最後にのび太が振り返り「行かなきゃ」と言って終了したというもの。この映像にはBGMすらなく、のび太のセリフ以外は無音で、オープニングも無く突然始まったと言われている。


目撃例3

のび太がスケッチブックを持って歩いており、そこにドラえもんが追いかけてきて「もう行ってしまうんだね」と言う。のび太は振り返って「うん、もう行かなきゃ」と言うと、そこでのび太の姿が藤子・F・不二雄氏の姿に変わり、映像が終了する。


目撃例4

何処かに歩いているのび太をドラえもんが追いかけて行き、ドラえもんが「もう行っちゃうんだね」と声をかけると、のび太が「行かなきゃ」というセリフを言ったというもので、例3と似ているが、のび太の姿が変わるという描写はなかった模様。


目撃例5

いつものようにジャイアンとケンカをするのび太。ドラえもんが道具を使って助けようとするが、のび太は道具を捨ててジャイアンに正々堂々と勝負を挑む。その様子を見たドラえもんは感動し、心を打たれたジャイアンはのび太と和解。するとのび太が視聴者の方を向きながら「子供には夢を、大人には希望を与えてきた。もう私が活躍することはないが、これからも時々で良いから思い出してくれ。もう私がいるべき世界へ行かなきゃいけない。また会える日を楽しみにしているよ」と発言したというもの。

あまりメジャーな話ではないが、他の目撃談に比べてストーリー性があり(さようならドラえもんに似ている)、追悼番組として流されても不自然ではなさそうだが、「また会える日を楽しみにしている」という言葉は、遺言としては不自然にも思える。


目撃例6

2007年1月末に、2ちゃんねるのスレッド「ドラえもんに詳しいやつちょっと来い」に投稿された目撃談。深夜に起きた投稿者がテレビを点けたところ、のび太がただ町の中を歩いていくだけの映像が流れ、最後に立ち止まると「行かなきゃ」という言葉を発し、階段を上がるような動作(階段は描かれていなかったという)で再び歩き始めたというもの。アニメ映像はそのままフェードアウトし、試験電波の画面に変わったとのこと。

他の体験談とは異なり、放送日は「10数年前(1990年代)」と曖昧で、のび太の声が藤子F氏の声だったという話はない。スレッド内では映画「のび太とアニマル惑星」の冒頭に類似した(のび太が一人でピンク色の靄の中を歩いていく)シーンがあると指摘されているが、投稿者本人が視聴した上で違うと報告している。

また、スレッド内ではこの目撃談が投稿された時点で「藤子F氏の命日の深夜にドラえもんが放送された」という噂が既に存在していたことが報告されている。


目撃例7

白い階段を上っていく藤子F氏に対して、ドラえもんあるいはのび太が「行っちゃうの?」と問いかけ、F氏が「行かなきゃ」と答えて階段を上がっていったというもの。他の体験談とは異なり、深夜に放送された映像ではなく、「F氏の追悼番組の一部として(96年9月24日以降の深夜以外の時間帯に)放送されたものではないか?」と言われている。そのため不可解な演出などは無く、目撃者も普通に感動したと語っている。


「行かなきゃ」の真相は?

疑問点

この「行かなきゃ」が追悼目的で深夜放送されたとすると、不可解な点がある(というか不可解な事だらけである)。


藤子F氏の死亡が確認された時間は9月23日深夜2時10分であり、F氏の死去が報道されだしたのは翌24日からである。つまり「行かなきゃ」を追悼目的で23日深夜に放送したとすれば、F氏の死を知った関係者がわずか数時間でアニメを納品し、深夜とはいえ、急遽放送枠をねじ込み、なおかつ追悼番組として放送したにも拘わらず、TV局が死去の報道を24日まで自粛していたという事になってしまう。

その為、『「行かなきゃ」はTV局が放送したものではなく、なんらかの超自然的な力によって放送された番組であり、藤子F氏が死去した瞬間に放送を終了した』というオカルト的な説も存在する。

また、『目撃者が口を揃えて「のび太の声がF氏のものだった」と断言するのは不自然だ』という意見も存在する。当時の追悼報道などで藤子F氏の肉声を聞く機会は多かったと思われるが、劇中でたった一回だけしか台詞を発しなかったにも拘わらず、多くの視聴者がそれをF氏の声と記憶したというのは、不自然である。

「行かなきゃ」の映像を見たと証言するのは一人だけではなく、かなりの数の者がネット上に目撃談を残している。しかしこの手の証言は基本的に受信した地域・チャンネル・時間等の重要な情報が書かれておらず、あまり役に立たない。


現実的な可能性

実際に放送された可能性を考えるならば、藤子F氏かその親族等がF氏の死後にこっそり追悼アニメを放送し、伝説を残すことをお願いしており、死亡確認後テレビ局に直ちに連絡し、用意されていたアニメをテレビ局(テレ朝、あるいはF氏の地元富山の局?)が深夜のカラーバーや砂嵐が流れている時間にこっそり放送した、ということになる。

ただ、アニメーターや当時の局員の証言が出てこないことは不自然である。

深夜でない時間帯に放送された追悼番組だったという目撃例7の説ならば不自然さはないが、やはり証拠映像は現状存在しておらず、(深夜に放送されたというものも含めて)目撃談が多いにもかかわらず、具体的な放送日・放送時間などは不明のままである。

藤子F氏の追悼とは無関係のフィラー映像・試験映像だった可能性や、放送事故の可能性、あるいは別の番組の映像を「ドラえもん」と勘違いしたという可能性も残されている(近い例としては『アイアンキング』の25話が『ウルトラマン』の最終回と誤解されて出来た都市伝説がある)。

また、93年9月8日の「水曜特バン!ドラえもん ボクの感謝の90分! 夢の四次元バラエティー」の冒頭では"机に置かれたドラえもんのイラストがアニメとして浮かび上がると同時に「行かなきゃ」と発言し、タケコプターで朝焼けの空へ飛び立っていく。それに対して実写の藤子・F・不二雄氏が肉声で「ドラえもん!」と呼びかける"映像が放送されており、これが何らかの形で歪んで記憶されたという可能性も考えられる。

更に96年9月29日(F氏死去の6日後)に放送された「ザ・スーパーサンデー」では追悼企画として「のび太の日本誕生」と共に短編アニメ「ドラえもん誕生」が放映されており、こちらにも「藤子F氏本人がナレーションを担当(その旨を示すテロップ付き)」、「アニメとして描かれたF氏が夜の坂道を一人で下っていくシーンがある」という目撃談に近い要素が見受けられ、追悼企画故に寂しげなBGMと共に黒一色の画面でスタッフロールが流れるなど、目撃例7に近い要素が多数見受けられる。


真偽

結論からいうと『ドラえもん』のエピソードとして「行かなきゃ」が放送された可能性は、常識的に考えれば無い。映像自体が出回っていない事、放送した側の証言が無い事、放送されたと言われる日がF氏の死去報道前だった事、何よりF氏が亡くなったのは大長編ドラえもんの漫画版を執筆していた最中であった事から、仮に氏が流してほしいと頼んでいたとしても狙って放送するのは困難である。2023年に『週刊女性PRIME』がテレビ朝日広報部に取材(関連リンク欄参照)を行っているが、「テレビ朝日でご指摘のような放送はしておりません」と断言しているので追悼放送説も否定されたと言える。

数々の目撃例も、この手の都市伝説にありがちなソースが不明・でっち上げの類であり、ネット上で無責任に拡散されたものである。このような都市伝説を面白おかしく扱う事自体が原作と原作者に対する侮辱になりかねない。

『ドラえもん』とは無関係な映像だったという説にしても、前述の『アイアンキング』のような事情が明らかにならない限り、存在を肯定する事は出来ないと言わざるを得ない。


関連リンク

新作映画好調のドラえもん、藤子・F・不二雄氏逝去の日の深夜回『行かなきゃ』の謎 テレビ朝日の回答は


再現動画


↑行かなきゃ(仮)(問題のシーンは2分37秒から)


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