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赤マント

あかまんと

赤マントとは赤いマントをきたキャラクターにつけられるタグ。もしくは昭和初期に流布された都市伝説。
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概要編集

その名の通り赤いマントを着た怪人が、子供をさらって暴行を加えた上で殺すという内容。誘拐の対象は少女のみとされている場合もある。全国的に広まって社会現象となり、当時日本統治下にあった朝鮮半島在住の日本人小学生の間でも噂になっていた。そのため警察が噂の発生源を取り締まるという事態にまで発展した。

また、多くの都市伝説がそうであるように赤マントにも派生系がある。代表的なものは「赤マント・青マント」であり、これは誰もいない小学校トイレで用を足そうとすると、どこからともなく背の高い青白い顔の男が現れ、『赤いマントと青いマント、どっちが欲しい?』と質問されるというもの。答えなければこの男はいなくならないが、『赤いマント』と答えるとナイフで刺され、噴出したで全身が真っ赤に染まって息絶え、『青いマント』と答えると全身の血を吸い取られてしまい、体が真っ青になって息絶えてしまう、という内容。これは『赤い紙・青い紙』と良く似ている。


ルーツ編集

昭和10年代の戦前日本に生まれたと言われる。1940年1月頃、東京谷中で起こった少女暴行殺人事件と、芥川龍之介の『杜子春』をベースにした加太こうじの同名の紙芝居(この紙芝居自体はホラーでもなんでもなく、赤マントの魔法使いが少年を弟子にする話である)のエッセンスが加わり「子供をさらう赤いマントを着た怪人」という姿が出来上がったとされる。しかし元となった噂は大阪が発祥とも言われており、大阪で紙芝居が押収される事件が起きたのは昭和15年頃と開きがあり加太の紙芝居が直接の原因ではないとする意見もある。

他にも、当時起きた二・二六事件が報道規制でねじ曲がって伝わったのが起源とする説がある。

事実この時事件を実行した将校の一人、中橋基明中尉乃木希典を真似て返り血が目立たないよう裏地がカーキ色のマントを着ており、陸軍内でも中橋の派手な服装は有名であった。

他にも江戸川乱歩の『怪人二十面相』説や旧制高等学校の学生のマント姿が発端となったのではという説もある。

さらには社会主義者の男が人々を動揺させるために流したデマで、男は後に逮捕されたという説もある。

このように非常に古い都市伝説だが、これを元にしたチェーンメールが出回ったことがある。

また、この話をモチーフにした「頭に回るは笑い声」という楽曲がある。



この都市伝説をモチーフとした作品・キャラクター編集


関連タグ編集

サブカルチャー 都市伝説 オカルト

 マント

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