デーモン・コアってなに?
大まかに説明すれば、半球状の金属(ベリリウム)で覆ったプルトニウムの塊の通称である。
核物質の臨界に関する研究のために造られ、元は『ルーファス』と名付けられていた。
なぜデーモン・コアなの?
『デーモン・コア』と呼ばれるようになったのは、実験の過程において臨界事故を2度引き起こしたためである。
いずれも安全性を欠いた杜撰な実験で発生した。
最初の臨界事故
デーモン・コアの周囲に炭化タングステンのブロックを積み重ねて臨界に至る状況を調べる実験を行っていたところ、ブロックを落としてデーモン・コアに接触させ、臨界状態にしてしまった。
この事故で、助手とともに実験を行っていた科学者のハリー・ダリアンが事故から25日後に放射線障害で亡くなった。
2度目の臨界事故
デーモン・コア絡みの臨界事故で有名であると思われるのはこちらであると思われる。
画像を検索すると、二つの半球状の物質の間にマイナスドライバーを引っ掛けている画像が出てくるが、これは球体のベリリウムを二分割した片方の中にデーモン・コアを埋め込み、もう片方のベリリウムの塊の上に乗せてマイナスドライバーを挟み込んで臨界に至らないようにし、マイナスドライバーを動かして距離を調整、どれだけの距離で臨界状態に達するかを実験している図である。
この実験の最中、手を滑らせてマイナスドライバーが外れてしまい、半球同士が完全に密着して臨界状態になってしまった。
実験を率先して進め、最も近くにいた科学者のルイス・スローティンは9日後に放射線障害で亡くなった。
ちなみに、この事故では『半球同士が完全に密着=臨海状態になる』に至った時、「チェレンコフ放射光」と呼ばれる大量の中性子が含まれる熱波を伴う青い光がデーモン・コアから放たれた。
亡くなったスローティンは、デーモン・コアをはねのけるまでの僅か1秒という短い時間で死に至る量の中性子を全身で浴びることになってしまった。そして、スローティンの体が楯となって助かった科学者や助手も後遺症によって一生苦しんだ。
つまり至近距離で青い光を見たらどうあがいても絶望なのである。
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クロスロード作戦:本来の計画では3回目の核実験でデーモン・コアから造られた核爆弾を使用する予定だったが、2度の実験による汚染が深刻だったため中止となった。