1885~1946
概要
旧日本軍の陸軍大将。
高知県生まれで陸軍大学卒。皇道派の青年将校を支持。
太平洋戦争が始まると、マレー方面軍・満州第一方面軍・フィリピン方面軍で司令官を務めた。
南方作戦で活躍してシンガポールを攻略(トップ画像右後ろの白人の軍人は、その時降伏したアーサー・パーシヴァル将軍)する戦果を挙げるが、皇道派であったことなどから東条英機に疎まれ満州に左遷。
戦争終盤にはフィリピン方面軍司令官の要職に就くも、台湾沖航空戦大戦果の誤報を信じた大本営の干渉や、レイテ沖海戦での海軍の敗北などから苦闘し、終戦までどうにか持ちこたえたものの多くの犠牲を出す。
戦後、マニラの軍事裁判でフィリピンにおける日本軍の戦争犯罪の責任を問われ、死刑。
戦時中に旧日本軍が各地から押収した金銀財宝を本土まで運べなかったので戦場に隠した埋蔵金の伝説があり、一部が発見された。
これは戦争後期に本土で金貨が急造され、現地での戦時物資調達費用としてフィリピンに送られたことや、連合軍側が序盤戦の撤退時に隠匿したニッケルのインゴットなどといった両軍の戦略物資などのことで、この伝説を題材にした精緻で巧妙なフィクション小説が欧米で出回って、真実であるかのように流布したことや、上記の「出土品」が話に信憑性を与えたもの。
言われているほど大きな埋蔵金は無いという説や、フェルディナント・マルコスが一部をこっそり手に入れて私腹を肥やしたりしたという説、実際には阿波丸などで運んでいて撃沈されたという説などもある。