外なる神
そとなるかみ
概要
ざっくり言うと魔王アザトースを中心にした巨大な力を持つ神々だが、自由に活動できるのは、代理人であるニャルラトホテプだけである。
英語では「The Outer GODS」。
主に対訳として外なる神々、蕃神。
作家によっては、地球外の神という意味で「異形の神(アザ―ゴッド)」、また「旧き神々(エルダーゴッド)」と呼ばれることもある。
元は単数でヨグ=ソトースを指す言葉だったがTRPGでは、一つのカテゴリーとして使われるようになり、旧支配者(グレートオールドワン)とは別格の神性(怪物)を含む。
外なる神
ラヴクラフトの創造したキャラクターの中で「外なる神」という言葉でくくられるようになったのは、ヨグ=ソトース等、他と別格として扱われていた神性をまとめるのに最も適した用語だったためと思われる。
というのもアザトースは、ラヴクラフトの未発表作品にしか出ておらず、知名度や重要な役割を果たしたのは、ヨグ=ソトースだったので、このヨグ=ソトースを基準に分類された。
主な外なる神
分類の法則
注意が必要なのは、ラヴクラフが自分で「外なる神」と旧支配者を別けたのではなく、後から他の作家やゲーム制作者が作った分類であり、絶対ではない。それぞれ制作者によって体系化される時に邪神を区別なく旧支配者と設定してしまったものもあり、「外なる神」として知られている存在も資料によっては旧支配者になっている場合も多い。
(クトルゥフ神話に絶対正しいという設定はないので問題はない)
「外なる神」と旧支配者には、上下関係がある訳でもなく、力や能力の大きさで別けられている訳でもない。
強いて言うなら…
- 旧支配者ではない
- 旧神ではない
- ヨグ=ソトースに近い特徴を持つ
まず太古の地球に飛来し、地上を支配した存在ではないことが挙げられる。これは、「外なる神」も旧支配者も外宇宙の怪物だが、特に太古の地球の支配者でなかったものを旧支配者と呼んでしまうのは矛盾するため。
次に同じ理由で旧神、大地の神々(地球の神)ではないもの。ただし旧神も外宇宙の怪物のことを指す場合もあるが、その時は「外なる神」とは別の存在、敵対あるいは、中立の関係であることが多い。
最後にヨグ=ソトースに近い特徴を持つことが挙げられるがこれも詳しくは、それぞれの項目を参照した方が詳しい。
特徴
旧支配者は、どんなに力が強大であっても限りがあり、ある種の異世界、異星人、怪物、つまり生物的であり、まだ物理法則に縛られている。それに対し、宇宙そのものに近い「外なる神」は、通念としての神に近い。
個々の名前が知られているのは、ほんの僅かで「外なる神」は知覚できない。小説『ダンウィッチの怪』では「クトゥルフも外なる神の匂いすら感じ取れない」とし、人間とクトゥルフの間に差があれど「外なる神」から見た場合、さほど問題にならないことが説明されている。
例外なく非常に強力な力を持つ異次元・異空間の存在であり、「外なる神」という名称もこうしたことから来ている。
彼らの最高支配者はアザトースであり、ナンバー2あるいは共同支配者は、ヨグ=ソトースである。
宇宙の外に居る「外なる神」は、あまり人間とは関係を持たないが、唯一の例外がヨグ=ソトースとニャルラトホテプである。
まずヨグ=ソトースは、外宇宙と我々の次元を結ぶ門であり、鍵で全ての次元と空間に接し、そして全ての時間を繋いでいる。いわば「外なる神」とこの世界の唯一の接点である。
このため、多くの魔術師がヨグ=ソトースを崇拝し、ラヴクラフトの作品で登場している。
次に「外なる神」のメッセンジャーであり、魂であるニャルラトホテプは、自由に行動することができる。「外なる神」に不都合が起こるとこのニャルラトホテプが調査する。この様子は小説『未知なるカダスを夢に求めて』で描かれた。
実体のない力
宇宙における絶対的存在であり、実体のない「力」とされる。
物質的な形として化身をつくり、人間の前に現れることもあるがごく稀である。姿が描写されるものも「形」を持って顕現した際のものであり、元々そのような存在ではない。
異界のモンスター然としている旧支配者とは異なり、本当の神のような現れ方をする。この神々の中には宇宙の原則を擬人化したものもいるのだとされる。人間界のことに興味を持つ者は滅多にいないし、人間というものの存在が分かっていないものも多いようだ。
たまたま人間に興味を持つと宇宙の壁、次元の壁を破りこちらにやってこようとする場合がある。人間を滅ぼすことに執着しているヤマンソという神がいる。
人間の理解の及ばない超常の存在
彼らのなすことは基本的に人間の理解を超えている。積極的に人間に関わろうとするナイアルラトホテプでさえ、その意図や目的が不可解なことが多い。
これらのことを説明する際、人間を蟻、その社会を蟻の巣として例えることが多い。
蟻には「大気」や「人間の足」という認識はなく、人間が大気を掻き分けて蟻を踏みつぶし殺害したという事象はアリからでは理解できず、そこには蟻でも認識できる程度の結果、つまり潰れた同胞の死体が残るのみである。
蟻に比する人間、つまり人間に比しての「宇宙的存在」が成す"事象"は、蟻のように矮小な人間には理解できないのだ。