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谷三十郎の編集履歴2020/10/22 01:10:36 版
編集者:rarirureramses
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谷三十郎

たにさんじゅうろう

谷三十郎とは新撰組にて七番隊組長としていた人物。天保3年? - 慶応2年4月1日(1866年5月15日)

概要

幼少期より直心一派の師範でもあった父から武術を学ぶ。嘉永6年(1853年)1月、家督相続。藩主・板倉勝静の近習役として仕えたが、安政3年10月13日、不祥事案により谷家は断絶となる。断絶後、弟・万太郎、周平と共に故郷を出奔し、大坂南堀江町にて道場を開く。

なお周平は後に局長・近藤勇養子となるが、三十郎の死後は離縁し谷姓に戻っている。

新選組に入隊

加盟の時期は不明だが、元治元年6月に副長助勤、同年12月に八番組長、慶応元年4月に七番組組長・槍術師範を務める。池田屋事件では土方隊の組に属し、事件後は褒賞として17両を賜る。

慶応元年1月、弟・万太郎ら4名で大坂焼き討ち計画を未然に防ぎ(ぜんざい屋事件)、大坂の豪商・加賀屋四郎兵衛に対する献金要請の際は交渉役を務め、3万1500両もの大金を得ることに成功している。

死因は不明だが粛清に失敗して暗殺されたか、過度の飲酒による脳卒中と説が分かれる。

フィクションでの扱い

他の隊長らと違い詳細があまりないため、主役で描かれることが少ない。また主役になっていないもののそれなりに名が知れている武田観柳斎伊東甲子太郎と比べると「誰?そんな人いたの?」「ああ、あの口先だけの奴ね」みたいな扱いである。

大河ドラマ『新選組!』(演:まいど豊)では横暴な態度をとり試衛館時代の面々らと対立していた。

その後河合耆三郎切腹することになった際の介錯を務めるも失敗、狼狽しているところを沖田が止めを刺す、という武士にあるまじき醜態を晒したため、隊内で完全に孤立。居心地の悪さから弟である万太郎と共に脱走を図るも山崎に察知され、先に屯所を抜け出して万太郎を待っていた所に斎藤島田らに捕捉される。切腹を勧められるも抵抗し、斎藤に槍で挑むも「よせ、あんたじゃ無理だ」と諭された挙句一太刀で切り捨てられる。新選組の体裁のために死因は見回り中に不逞浪士に切られたと島田によって偽装された。

漫画『るろうに剣心』では名前の数字を入れ換えた谷十三郎というダメダメ維新志士が登場する。

性格は権力を笠に着て威張る典型的な悪徳官僚のそれで、ネタ元のような優れた武芸も持たない。

作中での扱いも名有りモブの域を出ない噛ませ犬で、同じく新撰組幹部をモデルにした瀬田宗次郎や武田観柳などと比較すると群を抜いて不遇なキャラとなっている。

関連タグ

新撰組  槍使い

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