概要
天保3年(1832年)ごろ、備中松山藩士谷三治郎の長男として産まれる。実弟に万太郎、千三郎(周平)。幼少期より直心流の師範でもあった父から武術を学ぶ。
嘉永6年(1853年)1月に家督を相続し、藩主・板倉勝静の近習役として仕えたが、安政3年10月13日、不祥事案により谷家は断絶となる。(藩主の娘に手を出したため、家老の妻と不倫したためなど諸説あり。三十郎ではなく万太郎が起こしたとも)
その後万太郎、千三郎と共に故郷を出奔し、大坂南堀江町にて道場を開く。 この道場で原田左之助、島田魁、阿部十郎らが学んだ。
文久3年9月ごろ新撰組に入隊。元藩士や道場主というれっきとした肩書きからか、当初から副長助勤を任されたとされる。また弟千三郎を近藤勇の養子に入れ、かなりの厚遇を受けていた。
翌元治元年6月、池田屋事件では土方隊に属し、事件後は褒賞として17両を賜る。
8月には西本願寺に潜伏していた長州派浪人斎藤九一郎ら数名を捕縛した。
慶応元年1月、大坂焼き討ち計画を企てていた土佐脱藩浪士らが潜伏するぜんざい屋を、万太郎と道場の門人であった阿部十郎、正木直太朗とともに襲撃。1名を殺害した(ぜんざい屋事件)。
また大坂の豪商・加賀屋四郎兵衛に対する献金要請の際は交渉役を務め、3万1500両もの大金を得ることに成功している。同年の4月に七番隊組長・槍術師範を務める。
慶応2年(1866年)4月1日、祇園社の石段下で死亡。死因は不明だが暗殺説、過度の飲酒による脳卒中説などがある。
人物
父に学んだ直心流剣術の他、種田流槍術、神明流剣術、新陰流剣術など様々な武芸を修めていた。
また、故郷での不祥事や、池田屋事件での活躍など、弟万太郎と混同されたと思われる逸話や証言が散見される。
人物像について読み取れる史料に乏しく、創作においてはしばしば近藤の縁戚として威張り散らす人物として描かれる。
フィクションでの扱い
他の隊長らと違い詳細があまりないため、主役で描かれることが少ない。また主役になっていないもののそれなりに名が知れている武田観柳斎や伊東甲子太郎と比べると「誰?そんな人いたの?」「ああ、あの口先だけの奴ね」みたいな扱いである。
大河ドラマ『新選組!』
演:まいど豊
副長助勤・七番組長。備中松山藩の家臣の家柄で横暴な態度をとり試衛館時代の面々らと対立していた。「ひゃっひゃっひゃっひゃ」と奇妙な笑い声をだす。
槍の使い手だがあまり目立たない(池田屋事件で敵の剣を弾いてるところ、決して弱いわけではない)。
その後河合耆三郎が切腹することになった際の介錯を務めるも失敗、狼狽しているところを沖田が止めを刺す、という武士にあるまじき醜態を晒したため、隊内で完全に孤立。居心地の悪さから弟である万太郎と共に脱走を図るも山崎に察知され、先に屯所を抜け出して万太郎を待っていた所に斎藤、島田らに捕捉される。切腹を勧められるも抵抗し、斎藤に槍で挑むも「よせ、あんたじゃ無理だ」と諭された挙句一太刀で切り捨てられる。新選組の体裁のために死因は見回り中に不逞浪士に切られたと島田によって偽装された。
『龍が如く維新!』
新選組七番隊隊長。隊長の立場を悪用して様々な利潤を得ている。
賞金目当てで岡田以蔵の捕縛へ向かうが無鉄砲で猪突猛進な性格が仇となりあっさり斬殺される。
モデルしたキャラ
『るろうに剣心』
名前の数字を入れ換えた谷十三郎というダメダメ維新志士が登場する。
性格は権力を笠に着て威張る典型的な悪徳官僚のそれで、ネタ元のような優れた武芸も持たない。
作中での扱いも名有りモブの域を出ない噛ませ犬で、同じく新撰組幹部をモデルにした相楽左之助や四乃森蒼紫、瀬田宗次郎、武田観柳などと比較すると群を抜いて不遇なキャラとなっている。
その他
故郷備中松山城(岡山県高梁市)には、彼の名前に因んだオス猫のさんじゅーろーが猫城主に就任している。