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概要編集

天保6年(1835年)、備中松山藩士谷三治郎の次男として産まれる。実兄に三十郎、実弟に千三郎

安政3年、女性問題のため谷家は断絶され、兄弟とともに故郷を出奔。大坂にて医師・岩田文顕の次女スエを妻とし、兄とともに南堀江に道場を開いて剣術、槍術を教えた。原田左之助島田魁阿部十郎らが門人となっている。


文久3年9月~元治元年6月までに新撰組に入隊。大坂の道場運営も並行して続けていた。

池田屋事件では近藤勇の隊に属し、表口を固めて脱出を図る浪士を討ち取り、20両の報奨金を得ている。

慶応元年1月、大坂にて三十郎、門人の高野十郎、正木直太朗とともにぜんざい店石蔵屋にて、大坂焼討を企てていた浪士を襲撃し、大利鼎吉を討った(ぜんざい屋事件)。

慶応2年4月1日、兄三十郎が不審死を遂げた後、新撰組を離脱。


明治維新後も存命であったが、道場は経営難に陥り、商売にも失敗し貧しい生活であった。明治9年には妻スエと離縁し、愛人と暮らした。

明治19年(1886年)6月30日、大坂にて食道癌で死去。享年51。

創作での谷万太郎編集

三兄弟の中では、組頭であった兄、局長の養子となった弟と比べ注目されることが少なく、全く登場しないことも多い。

大河ドラマ『新選組!編集

演:若松力

谷三兄弟の次男。池田屋事件では弟の昌武と共に近藤隊に所属し、池田屋の玄関先で死闘を繰り広げた。兄の三十郎と共に脱走を図るが、その際に半ば身勝手な理由で隊を抜ける事には若干の躊躇する様子を見せていた。その後、三十郎が殺された現場には姿を見せることなく逃亡した。

ちるらん新撰組鎮魂歌編集

十番隊の隊士となっている。

三番隊隊士の武田観柳斎とどちらの組長が最強かで言い争い、私闘に発展したところを土方歳三に収められた。

ギャグマンガ日和編集

トーテムポールの上から3番目。

関連タグ編集

新選組 新撰組 槍使い 三兄弟

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