カスリーン台風
かすりーんたいふう
1947年の台風9号につけられた呼称。
人名である理由
当時、日本は連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年(昭和22年)~1953年(昭和28年)5月まで、アメリカ合衆国と同様に、ABC順に女性の名前が付けられていた。この例の名でいえば、日本ではこの他キティ台風、ジェーン台風などが有名。
被害と影響
利根川や荒川などの堤防が決壊、埼玉県東部から東京都23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生。この地域で大規模の洪水が発生するのは、1910年(明治43年)8月の大水害以来37年ぶり。東北地方では北上川が氾濫している。
このカスリーン台風を教訓として、利根川では「利根川改訂改修計画」が策定、利根川本川を始め烏川・神流川・吾妻川等に大規模なダムを多数建設する方針を立てた。これが現在の利根川上流ダム群。また、鬼怒川においても上流におけるダム建設が進み、五十里ダム・川俣ダムの建設が始まる。更に江戸川においても改修計画の一環として行徳可動堰が作られることとなった。このときの河川流量などのデータがダムなどの治水施設や、河川改修の際の安全基準としてよく利用されている。
利根川における大規模な破提の現場は、現在はカスリーン公園(加須市)として整備されている。また、被害にあった埼玉県内の市町村では市街地の電柱に赤線や青線で当時の浸水深を表示することで被害の大きさを今に伝えている。メイン画像はそのような表示にちなんだ作品。