概要
1954年生。鹿児島県出身。
本名は「有馬猛」。キャリア初期には「ありゃま猛」というペンネームを使っていたときもある。
少年期は家庭環境に恵まれず養護施設で育ったと言う。
15歳で養護施設を出た後は漫画家を志して上京し、しばらく工場で勤務。雑誌であだち勉の作品を読み、「やりたい画風と当時の住所が近かった」との理由から訪ね、勉の弟で同じく漫画家志望であったあだち充と共に、漫画の手伝いをするようになる。
1971年に週刊少年ジャンプの読み切り『よい子』でデビュー。
しかし師匠である勉が女遊びと博打を覚えたせいで仕事が滞るようになったため、連鎖的に仕事がなくなりバイトをしていたところ、勉に古巣である「フジオ・プロ」(赤塚不二夫のプロダクション)を紹介される。
そのまま赤塚不二夫の下で働く予定だったのだが、待機中にフジオ・プロの人手が足りてしまう。
その代わりに同じくフジオ・プロ出身の古谷三敏の「ファミリー企画」に入ることになる。
9年間アシスタントを務めた後、独立し劇画誌で再デビュー。
古谷三敏の弟子、つまり赤塚不二夫の孫弟子とも言える経歴であり、本人も自らを赤塚一門であると語っている。
主に青年〜壮年向け雑誌やギャンブル漫画雑誌で作品を発表している。
近年は体調の問題もあって休業状態にあるが、次回作の構想はあり、師であるあだち勉のことを描きたいと語っている。
そして2020年9月12日からサンデーうぇぶり上にて新作「『あだち勉物語』~あだち充を漫画家にした男~」の連載を開始した。
作風
作品では一貫したテーマとして「家族」を描いており、『きっといつかは幸福寺』に代表される人情ものの漫画を得意とする。
ほのぼのとした絵柄と語り口の中に垣間見える冷徹な人間像の描写と構成力の高さから、「知る人ぞ知る」評価の高い作家であった。
活動の主なフィールドが青年〜壮年向け雑誌、ギャンブル・釣りなどの雑誌という関係もあり、息の長い活動ながら注目されることはなかったが、2020年に『連ちゃんパパ』がSNSで大きな話題になったことから、にわかに注目を集めることとなった。
主な作品
- 御意見無用
- 連ちゃんパパ
- きっといつかは幸福寺
- 船宿 大漁丸
- ぶらり駅弁味な旅(原作 きり・きりこ)
- ほっこりゴルフ屋さん(原作 かわさき健)
関連タグ
あだち勉:ありま氏にとっての最初の師匠。氏を偲ぶ会である「あだち会」の幹事を務めている。
あだち充:勉のアシスタント時代の兄弟子とも言える存在であり、親交は今も続いている。
古谷三敏:9年間彼が立ち上げたファミリー企画で働いており、絵柄にその影響が見られる。