クレスタ
くれすた
概要
この車両は、4ドアセダンの高級車として製造された。設計が類似した車としてマークⅡ、チェイサーが存在するが、「俺は他の二人とは違うんだ!」というアピールが強い。なお、名称はスペイン語で「西洋の紋章の頂に輝く飾り」という意味である。
1980年から2001年まで製造され、マークⅡとともにハイソカー(上流階級向け車種)として扱われ、後にソアラとともにDQN御用達車種とされている。
この車の後継はヴェロッサ(チェイサーとの統合車種)である。
取り扱いディーラーはトヨタビスタ店だが、沖縄県にはトヨタビスタ店が設定されなかったため、沖縄トヨタで取り扱った。
タイプ一覧
上記の通り長い期間製造された車種であるため、4回のモデルチェンジが行われている。この項目ではざっくりとそれを記述する。
初代
1980年から1984年まで製造。新しく設計された2000ccのエンジン、四角のヘッドライト、ツートンカラーなど当時としてはスタイリッシュ、かつ後から設計された二つの類似車種よりも高級なつくりの車であった。
なお、普及版は1800ccのエンジンを積んでいた。しかも初期型はすでに時代遅れになっていたOHVエンジンだった。エンジンによってはATのみの仕様も存在した。また後からディーゼルエンジン版も発売。
2代目
1984年から1988年まで製造。サッシュドアを採用し、ライトも違うという、他の二人と違うアピールをさらに強くする。また、特別限定車も登場する(これは引き継がれる。)さらに内装も豪華に。ターボエンジンが新しいものに。
3代目
1988年から1992年まで製造。3000ccのエンジンとか、スーパーチャージャーエンジン搭載車種が出来た。この車種が最も売れた(逆を言うとセダンの人気がこれ以降なくなった)。丸みを帯びたデザインとなった。
また、エンジンが強化されたため暴走族等が喜んだ。
ちなみに、ここまで教習車仕様が存在。
4代目
1992年から1996年まで製造された。ここから車体が大きくなり、3ナンバーに。他の兄弟と同様にモデルチェンジされたが、なぜか「素人目にはチェイサーと見分けがつきにくくなった」と言う声が出た。
3代目まで「宣伝マン」を勤めた俳優の山崎努が勇退、カメラマン兼マルチタレントの浅井慎平が(わずか2年ほどだったが)「宣伝マン」を務めている。
5代目
1996年から2001年まで製造。車高をマークⅡに比べてやや上げてみたりリアデザインをいわゆる『尻下がり』にするなど、やや落ち着いたデザインにした。そのせいか、オーナーの平均年齢が上がっちゃったらしい。
後期にはMT車の設定をやめた。
蛇足
GTOでは登場人物である内山田ひろしの愛車である。そして定番ネタの一つとして、このクレスタが何度となく破壊された。知恵袋によると、6回破壊されたとある。
原作では最後、保険も断られ、自らの意思で車を身代わりに生徒を守った。
お墓をつくってあげよう……この子の為に、立派な……
その後紆余曲折経て、クラウンに変えたとか。さらにそれも売って軽キャンピングカーに変えたとも言われている