概要
上述の説明通りである……のだが、意外と定義が広く、様々なケースに該当する。
ある人が既に克服した「自己嫌悪」が、別の人間が持っている「自己嫌悪」とは違う種類のものであることもある。
具体的に言うと、この記事の初版に書かれていた「元々それなりに自信のあった人間が、学校や仕事で挫折を味わい、周囲に迷惑をかけてしまったりしたことからその自信が揺らぎ自分のことを信じられなくなる」状態も自己嫌悪であるが、それとは異なり「家庭環境などに問題があり元々自分を信じるという価値観そのものを会得してこなかった」「自信がないために周囲が押しつけるネガティブな評価がそのまま自己評価の基本となり自分を好きだった時期が無い」こともまた自己嫌悪である。
少年漫画で例えるなら、好きだった楽器の道も文筆の道も「才能が無い」と断じられてしまい失意の中で人間をやめた某鬼は前者に該当。
親に自分を否定するようなことを言われて育ち、唯一の居場所でも評価が低く、にもかかわらず評価の高い人物が自分を庇って死ぬという経験を経て、元々の自己を消してその人物の代わりを演じることでしか生きる意味を見出せなくなった某戦士や、親と過ごす時間をほとんどレジスタンスの英才教育に費やされ親からの愛情をほとんど実感できなかった上、親代わりになってくれた人物の強烈な自己嫌悪に感化されてしまった某戦士長は後者に該当する。
また、元々自信が低かったのに組織のために仲間全員を切り捨てる羽目になり、さらなるどん底に堕ちるという両方を兼ね備えた人物もいる。
以上のような理由から、自分の経験のみを頼りに安易に「自己嫌悪は克服できる! お前も早く克服しろ」などと押しつけがましいことを言うのは避けた方がよい。
価値観の押しつけ自体があまり良いことでないのもそうだし、自分を好きになったことがほぼ無い人間にとって自己嫌悪をやめろとか自己肯定感を獲得せよというのは「それまでの人生を全て否定せよ」というのに等しく、相当な覚悟を持たねばできない大冒険であることも考慮した方がよい。