概要
上述の説明通りである……のだが、意外と定義が広く、様々なケースに該当する。
ある人が既に克服した「自己嫌悪」が、別の人間が持っている「自己嫌悪」とは違う種類のものであることもある。
具体的にはこの記事の初版に書かれていた「元々それなりに自信のあった人間が、学校や仕事で挫折を味わい、周囲に迷惑をかけてしまったりしたことからその自信が揺らぎ自分のことを信じられなくなる」状態も自己嫌悪であるが、それとは異なり「家庭環境などに問題があり元々自分を信じるという価値観そのものを会得してこなかった」「自信がないために周囲が押しつけるネガティブな評価がそのまま自己評価の基本となり自分を好きだった時期が無い」こともまた自己嫌悪である。
性別の自己嫌悪
女性は月経(いわゆる生理)が訪れると必然的に体調が崩れてしまい、精神面が非常に不安定になりやすい。特に中学生や高校生の女の子達は思春期と重なるので、「生理が辛い」、「どうせ産むなら男性として産んで欲しかった」など自身の性別に対して嫌悪感を持つ人も少なからずいる。あくまで様々な事柄が重なる事で陥りやすい機会が多いというだけで男性が自身の性別嫌悪を抱かないというわけでは決してない。
しかし、これらに限った事ではなく特に性同一性障害で苦しんでいる方はこの自己嫌悪感を自我が芽生え始めた幼少期から抱く事になってしまう。その子が持った男性として産まれたけど「可愛い服が好き、キレイになりたい」。女性として産まれたけど「カッコよくなりたい、髭に憧れる」などの感性を持っていても、もしもそれを知ったら家族に「悲しい思いをさせてしまう、余計な事を考えさせてしまう」。友達からは「嫌われる、気持ち悪がられる」と連想してしまい、『ちゃんとしていない自分が悪い』と考えてしまうからである。
世間一般的には性転換やトランスジェンダーの存在が受け入れがたいものかもしれないが、それも『一つの個性』として受け止めてあげる事が出来れば、そういう面で悩む人も心の拠り所ができて、少しは良い方に向かってゆくと願うばかりだ。
しかし、女性目線からすれば「自身を女性と訴えている男性」が風呂場やトイレを利用していることは、いくら事情があるとはいえ恐怖でしかない。ましてや心も体もきちんとした男性にも拘らず、やましい事を目論んで『心は女性なのに何故、女性用の風呂場やトイレを使ってはいけないのか?』、『女性である自分が使えないのは、おかしい』という言ったもの勝ちな状況になってしまうことも事実である。(曰く、「本当に心が女性なら尚更男湯に突撃するだろう。」とのこと)そのことから、一概にジェンダーフリーなどの政策に対して、上記のとおり自身が認識している性別を偽る者を危惧して女性を中心として頷く人が殆どいなく、相互理解は平行線を辿っている。
創作物での例
少年漫画で例えるなら、
- 好きだった楽器の道も文筆の道も「才能が無い」と断じられてしまい失意の中で人間をやめた某鬼は概要の前者に該当。
- 親に自分を否定するようなことを言われて育ち、唯一の居場所でも評価が低く、にも拘らず評価の高い人物が自分を庇って死ぬという経験を経て、元々の自己を消してその人物の代わりを演じることでしか生きる意味を見出せなくなった某戦士
- 親と過ごす時間をほとんどレジスタンスの英才教育に費やされ親からの愛情をほとんど実感できなかった上、親代わりになってくれた人物の強烈な自己嫌悪に感化されてしまった某戦士長は概要の後者に該当する。
- 元々自信が低かったのに組織のために仲間全員を切り捨てる羽目になり、さらなるどん底に堕ちるという両方を兼ね備えた人物もいる。
以上のような理由から、自分の経験のみを頼りに安易に「自己嫌悪は克服できる! お前も早く克服しろ」、「お前は男として生まれたから、もっと男らしくなれ、化粧をするな 女だからスカートを履いたり、子供を産んで、家事をしろ」などと押しつけがましいことを言うのは避けた方がよい。
価値観の押しつけ自体があまり良いことでないのもそうだし、自分を好きになったことがほぼ無い人間にとって自己嫌悪をやめろとか自己肯定感を獲得せよというのは「それまでの人生を全て否定せよ」というのに等しく、相当な覚悟を持たねばできない大冒険であることも考慮した方がよい。
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じこけん王:取り憑いた者を自己嫌悪にする妖怪