概要
性自認(自我・自己の性)と解剖学上の性別(身体の性)が一致しないことから来る身体の性別への継続的な違和感や、また社会的に本来の性別と反対の性として扱われることで精神的な苦痛を感じ、日常生活に支障を来す障害のこと。追って、それに関する特例法についても解説する。
Gender Identity Disorder の訳語であり、世界保健機関が定めた国際疾患分類(ICD-10)および米国精神医学会が定めた診断基準(DSM-IV)によって定義される疾患名である。
また意味の類似する、より定義の広い語としてトランスジェンダーがある。
障害や疾患などと名は付いているが、これはカウンセリングや性別適合手術などの「治療」をするための便宜として「病気」扱いするためであり、心の疾患というわけではない。医学的見地における解説はwikipediaなどが詳しいため、ここでは解説を省略する。端的に言えば
「どうして自分にはアレが生えてこないの?」である(編者注:この言葉は実際の経験者の言葉です)。
とはいえ、一般人にはなかなか理解されにくい場合があるので、そのようなときはこう質問すれば一発で理解される…かもしれない。
「もし自分の脳はそのままで、身体が異性のものだったとしたら、どう感じる?」
大抵の人は「気持ち悪い」と答えるであろうから、そこで
「それ!それが、性同一性障害が常時抱いている感覚なんだよ」
と答えれば良いであろう。
同性愛や異性装(男装、女装)、ニューハーフ、シーメール等とは混同されがちであるが、性自認とこれらの性癖とは必ずしも一致しない。
ちなみに、性同一性障害は自殺リスクが高いことが知られており、仮に疾患として扱った場合、精神科疾患としては統合失調症に次ぐ致死率となるという説もある(そもそも精神科疾患の中で一般に致死的疾患として認知されているものは統合失調症、気分障害(うつ病、躁病など)、拒食症くらいしかない)。
同性愛などとの違い
同性愛とは、自身の性自認と一致する性であると認識する相手を好きになることである。
もう少し砕いて説明すると、例えば男性の同性愛であれば、自身を男と認識した上で、男性を好きになることと言える。この場合、両者とも性同一性障害者でなければ、どちらも出生時には男性と割り当てられたはずである。(女性の同性愛も男女を入れ替えれば同様)
対して異性愛者の性同一性障害者の場合、同性愛者ではないため、自身の性自認と一致しない性であると認識する相手を好きになる。しかし、性別というものの理解や研究が進んでいなかった過去には解剖学のみを性別として判断していたため、同性愛と区別する事ができていなかった。一般人では現在でも混同している者も少なくない。
以上をわかりやすく表にまとめると、以下のようになる。
同性愛者 | 異性愛者 | |
---|---|---|
性同一性障害者 | 身体:男(女) 性自認:女(男) 対象:女(男) | 身体:男(女) 性自認:女(男) 対象:男(女) |
非性同一性障害者 | 身体:男(女) 性自認:男(女) 対象:男(女) | 身体:男(女) 性自認:男(女) 対象:女(男) |
また同性愛者のほか、恋愛に興味を持たない者や性愛欲求を持たない者、バイセクシャル(両性愛者)、パンセクシャル(全性愛者)など様々な人がいる。
性自認(自我・自己の性)と性指向(どの性別を好きになるのか)は別であるということに注意しなければならない。
なお、性自認に依存しない性指向の表現方法として男性性愛者や女性性愛者、全性性愛者などの言葉もある。
勘違いされがちであるが性同一性障害と性分化疾患とは全く別の概念である。
性分化疾患とは、染色体、生殖腺、もしくは解剖学的に性の発達が先天的に非定型的である状態を指す。
臨床研究機関や患者の大部分は、肉体の性別と異なる性自認の概念を必要としていない。
性分化疾患をもつ女性は女性で、性分化疾患をもつ男性は男性である。
性分化疾患の当事者の大多数は、自分のことを標準とは違った身体的特徴を持つ「男性」もしくは「女性」であると認識しており、あえて逆の性別であるとか、男女の中間にあるとは考えない。
典型でない体に悩み、アイデンティティクライシスを抱える事もあるため自分達がジェンダー思想に利用されることを嫌っている者も多い。
(ただし、性分化疾患と、性同一性障害が同時に発現した場合はその限りではない。)
ちなみに
MtF(Male to Female)は生物学上は男性、性自認は女性である事例。
FtM(Female to Male)は生物学上は女性、性自認は男性である事例。
である。
MtFは「トランスジェンダー女性」や「トランス女性」と呼ばれることもある。
同様に、
FtMは「トランスジェンダー男性」や「トランス男性」と呼ばれることもある。
複雑化
上で「同性愛や異性装、ニューハーフ、シーメール等とは混同されがちであるが、性自認とこれらの性癖とは必ずしも一致しない。」と書いたが、ジェンダー構造の多様性が認識された結果、これがより深刻な問題となるケースも出るようになった。
簡単に言うと「性自認と、自身の身体に求める性」すら一致していない場合があるのだ。
つまり、
- 性自認は男性である
- 現在の身体の性は女性である
- 自身の身体として理想なのは、発達した乳房と女性器をもつ身体である
というような場合である。
従来、性同一性障害は「精神と身体を一致させれば解決」と、1990年代までは精神医学会や泌尿器科学会・婦人科学会においてすらこう思われていた。だが、LGBTQ+運動の高まりの中で、こうしたマイノリティーの独白なども上げられるようになり、そう単純ではない事が認識されてきた。
「自身の理想の身体と現状が一致しているのだから問題ないじゃないか」と思われそうだが、社会生活を送る上では大問題なのだ。この例の場合、彼はトイレや浴場では男性側を使うべきだと考えているのだから。
この逆パターンが身体的に有利なためにスポーツ競技などで問題になる反面、彼のようなパターンはあまり顕在化していないが、彼がスポーツ選手だとしたら、当然出場は男性種目を希望する。
また、現在の性別適合手術は、基本的に生殖機能との引き換えになる。しかし、トランスジェンダーであっても子孫を残したいと思うのは本能であり、これが精神的な負担の一旦となっている。
(こう言う意味では、1980年代以前の「精神を身体に合わせる」も一定の合理性があったわけである)
この為、FtM男性が子どもを設ける目的で性別適合処置を一度中断し、妊娠・出産した、というような例も出てきている。