概要
エロティック・アートの内、ポルノ表現そのものを目的としないもののことをいうが、2020年12月28日に株式会社カラーが公開した「『エヴァンゲリオン』シリーズのファン創作物の公開に関するガイドライン」において重要性の高い概念となった。
『エヴァンゲリオン』シリーズのファン創作物の公開に関するガイドライン
このガイドラインでは、公開を控えるべきとされるファンアートについて、「ポルノ表現そのものを目的としたもの」を規定している。このため、『エヴァンゲリオン』シリーズでR-18ないしエロ絵のファンアートを投稿する際は、「ポルノ表現そのものを目的としないエロティック・アート」である必要性が出てきた。この規定は国内外のファンから物議を醸し、批判が寄せられたが、よくよく読んでみると性表現を否定する規定ではないかもしれない。「ポルノ表現そのものを目的としたもの」とは以下のようなものであると思われる。また、株式会社カラーはファンアートの販売・製品化に関するルールの明文化を予告しており、その際に本規定も見直される可能性もある。
語句
「目的」
ここでは「目的」という語句に着目する。本ガイドラインでは目的に関して言及されているが結果については言及されておらず、「ポルノ表現そのもの」を「目的」としなければ、「結果」として作品が「ポルノ表現そのもの」の態様であったとしても、ガイドラインを遵守していることになる。
「そのもの」
ここでは「そのもの」という語句に着目する。ポルノ表現「そのもの」でなければ、「ポルノ表現」であったとしても、ガイドラインを遵守していることになる。「そのもの」であるためには、「ポルノ表現」以外の要素が何一つないことが必要とされるため、例えばセリフ付きのシチュエーションであればその時点で文学的な価値が発生するので、「ポルノ表現そのもの」とはいえないことになる。セリフがなかったとしても、非言語コミュニケーションがなされている場合もあるため、ほとんどの場合において「ポルノ表現そのもの」といえるエロティック・アートはないのではないかと思われる。そのため、「そのもの」ではなく、付随的にポルノ表現が作品の不可分の要素の一つとして繋がっている作品はガイドラインを遵守していることになる。
影響
このガイドラインが実際の所、ほとんど実質的に意味のある文になっていないとしても、『エヴァンゲリオン』のファンアーティストに与える影響は軽微ではないかもしれない。2020年12月29日、memeにもなった「モグ波」で知られるなかよひモグダンは、以後モグ波を描かないことをTwitterで述べた。モグ波が「ポルノ表現そのものを目的としたもの」であるかどうかは実際の所全く部外者では判断がつかないが、彼はそのような選択をした。
ガイドラインの反応に対するカラーの声明
12月30日、カラーはこのガイドラインについて「一部分だけが切り取られ、意図が歪んで伝わってしまっていると感じる」との声明を出した。この声明によると、カラーは「このガイドラインはファン活動をその内容含め【規制・禁止】するものではない」と主張している。一方、ガイドラインには「以下の表現・内容の創作物の公開は控えてください。」と記述されている。
また、カラーは同じ文章の中で、「一人一人で【本文】を読む」ことを推奨し、「本文」の文言の見直しまたは撤回には言及しなかった。また、カラーは「ファン同士が相互に取り締まり合うことを望まない」と述べたが、望まないからどうするのか(どうもしないのか)ということについては触れなかった。
評価
受賞歴のある論文筆者の高村武義は、ガイドラインの内容と後から出た声明が「全く一致していない」と指摘した。また、声明の中にある相互取り締まりを懸念する文章に対し、「無理」と述べ、非常に厳しいガイドラインとなっている以上、猛烈な勢いで委縮は起きるし、相互監視が発生し、また愉快犯がオタク叩きの取り締まりに参加する可能性を挙げ、「集団心理を甘く見過ぎている」という見解を示した。その上で、彼は情報源は明示せず、エヴァンゲリオンのファンアートが「pixivで18禁、全年齢を問わず削除祭りになっていると聞く」と述べた。
高村は二次創作物の内容ではなく表現媒体で規制していた円谷プロのガイドラインを称賛し、今回のエヴァンゲリオンのガイドラインは「変に具体的に詳細」で、相互監視や相互摘発が起きやすいものになってしまってるのが問題であると論じた。
アートの一要素としての性
『新世紀エヴァンゲリオン』を含む多くの作品は、キャラとキャラの関係性が見せるドラマが見どころの一つとなっているが、時としてポルノ表現のようにも見えるエロティック・アートは、関係性の成就の一つの形態であるセックスを描くものとして不可欠なものである。また、『新世紀エヴァンゲリオン』を含む多くの作品は、優美で均整な人体、ヌード、女体美が魅力の一側面であるともいえる。そのような作品の二次創作を作ろうとする時、性やヌードが見せる深みとは無縁ではいられない場合がほとんどであろう。