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樋口一葉の編集履歴

2021-02-14 17:43:08 バージョン

樋口一葉

ひぐちいちよう

樋口一葉とは、明治時代の女流作家。代表作に『たけくらべ』など。

概要

1872年東京都にうまれる。戸籍名は「奈津」だが本人は「夏子」と名乗ることが多かった。

姉が一人、兄が二人、妹が一人いる。


幼いころから読書が好きで、11歳の時に小学校高等科を首席卒業するが、「女に学問は不要」とする母の方針でそれ以降は学校には行かず、14歳の時に当時著名な歌人だった中島歌子の開いた「萩の舎」に入る。

17歳で父と上の兄を失い、下の兄は勘当されていたため樋口家の戸主になってしまい家系を支えるために働きに出ることとなった。

そんな中、萩の舎の先輩である田辺龍子が『藪の鶯』という小説を書いてデビューし、その原稿料で父の借金を返したことを覚えていたため自分も小説を書こうと妹のつてで半井桃水に弟子入り。

1892年3月、半井出版の同人誌『武蔵野』創刊号に『闇桜』を「一葉」の筆名で発表。半井は一葉を東京朝日新聞主筆の小宮山桂介に紹介が一葉の小説は採用されず、ま樋口と半井の仲を噂する醜聞が萩の舎で広まったため、友人の中島歌子や伊東夏子に交際を反対され、桃水と別れることとなる。

その後、上野図書館に通い独学し、田辺花圃の紹介で、これまでとはスタイルの異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を雑誌『都之花』に発表。初めて原稿料11円5銭をもらい、内6円を借金返済に充てた。

三宅花圃の紹介で『文学界』創刊号に『雪の日』を発表。同人の平田禿木の訪問を受け熱く語り合うが、その後はなかなか筆が進まず駄菓子屋経営を開始するが、経営はうまくいかず生活に困窮する。


翌年には店をたたみ、酌婦街に転居したが彼女の字の美しさを娼婦たちに見初められ手紙の代筆の依頼を受け、それがきっかけとなり再び筆を執り1894年に『大つごもり』を『文学界』に連載。

翌年1月から『たけくらべ』を7回にわたり発表、さらに『行く雲』『にごりえ』『十三夜』などを次々と送り出した。

彼女が送り出した作品は森鴎外幸田露伴から絶賛され、一躍その名を文壇の頂点に極めたが、同時に当時治療困難だった肺結核を患ってしまい、1896年、丸山福山町の自宅にて死去。享年24歳。


関連項目

小説家

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