呂布の配下として登場。呂布の縁戚関係にあったことから重用されたが、建安3年(198年)12月、呂布が曹操達に下邳城に追いつめられると、同僚の宋憲・侯成らと共謀して寝返り、陳宮を捕縛した。これが契機となって下邳城は落城し、呂布軍は滅亡した。
その後の史書に魏続の名は記されておらず、表舞台から退場する。
『三国志演義』では、呂布配下の八健将の1人(序列第6位)として登場する。最初の曹操との戦いでは、曹操を後一歩のところまで追い詰めるが、典韋に撃退される。袁術との戦いでは宋憲と共に陳蘭と戦い、これを撃破している。
しかし、下邳城攻防戦では、善意を無碍にされた侯成への仕打ちから呂布を見限り、侯成らと共に呂布・陳宮を捕え曹操に降っている。
袁紹との戦いで、宋憲が顔良に討たれ、仇を討とうと顔良に戦いを挑むが、一撃で討ち取られてしまう。