概要
上杉謙信が1559年に上洛した際に、関白・近衛前久と大変懇意になる。
この時前久は越後への帰途に同行することを申し出ており(後年本当に同行する)、その際謙信に「嫁に貰って欲しい」と勧められたのが実妹・絶姫である。
兄による急で強引な話ではあったが、絶姫自身は謙信を慕っていた。
生涯不犯(妻帯禁制)を掲げていた謙信はこの話を丁重に断るが、絶姫の方は謙信を忘れられず、当時北条氏康と戦っていた謙信に会うために男装をして関東へ向かっている。
元々の容姿が大変美しかったため、男装した姿も美少年であり、謙信も興味を示したという。
しかし変装が発覚して帰されることとなり、想いは叶わぬままその翌年に若くして病死した。
この時、男装した彼女に興味を示した謙信は「あの美少年を呼んでこい」と家臣に命じたが、すぐに女だと発覚して「手を出さなくて良かった」という意味のことを言ったらしい。
死別のせいで食事も喉を通らなかったという伊勢姫の悲話に比べると、凄まじいほどの温度差である。
絶姫にまつわる一連の逸話は、伊勢姫、ふえ(直江景綱の娘)と合わせて謙信を代表する悲恋話となっている。
絶姫の場合は基本的に彼女の片思いであるが、伊勢姫やふえの話では謙信側からの熱愛描写も見られ、ふえの話に至っては絶姫は体の良い当て馬扱いである。
これらの恋愛エピソードは全て過度の脚色や創作の可能性が高いが、最も史実に沿っているのは絶姫であるらしい。
謙信の彼女に対する扱いを考えると、やはり上杉謙信という男はそっちの人だったということだろうか。
戦国大戦において
上杉家武将として登場。行動力にあふれ、やや猪突猛進な少女として描かれている。
上杉軍ではそこそこ需要の高い1コストの槍足軽で、計略「封印の術」は相手の計略を一定時間使用不可にするという独特の特徴をもつため、使用頻度は比較的高い。
群雄伝でも登場し、その際の行動はおおむね概要の通り。
会話パートでは実兄である近衛前久も登場するが、こちらはカード化されていない。
pixiv内でのイラストでは伊勢姫と共に描かれることもしばしば。
『急がなきゃ!あの方はきっと私をまっているんだから!』