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甘露寺国長の編集履歴

2021-05-24 07:58:06 バージョン

甘露寺国長

かんろじくになが

甘露寺国長とは江戸時代後期の公卿。

概要

甘露寺篤長の子、官位は従一位、権大納言


プロフィール

時代江戸時代後期
生誕明和8年9月10日(1771年10月17日
死没天保8年6月18日(1837年7月20日
官位従一位、権大納言
主君光格天皇仁孝天皇
氏族甘露寺家
父母父:甘露寺篤長、母:家女房
兄弟国長堤広長、敬子、中園実暉
正室:関千衛子(関長誠の娘)、冷泉初子(冷泉為章の娘)
子女治長愛長輔季竹内惟和室、妍子

経歴

天明4年(1784年)従五位下、後に侍従となり弁官と蔵人頭に就任し文化2年(1805年)に従三位・参議となる。文化7年(1810年)に権中納言、文化11年(1814年)に権大納言となり文政5年(1822年)から天保7年(1836年)まで武家伝奏に就任し文政7年(1824年)に従一位。


外部リンク

甘露寺国長 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公家 江戸時代 甘露寺家

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