ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

キョウエイボーガンの編集履歴

2021-06-22 13:24:32 バージョン

キョウエイボーガン

きょうえいぼーがん

キョウエイボーガンとは、1989年生まれの日本の元競走馬である。 たった一日、"あの日"を境に大勢の人間の感情論に翻弄され、紆余曲折の末数奇な運命を辿った馬として知られている。

概要

キョウエイボーガンとは、1989年生まれの日本の元競走馬である。

たった一日、"あの日"を境に大勢の人間の感情論に翻弄され、紆余曲折の末数奇な運命を辿った馬として知られている。


主な勝ち鞍:神戸新聞杯(GII)、中日スポーツ賞4歳ステークス(現ファルコンステークス・GIII)

(馬齢は全て旧表記)


経歴

1989年4月27日、この世に生を受ける。父はテュデナム、母父はテスコボーイ。母親であるインターマドンナはキョウエイボーガンの出産を最後に用途変更・廃用となり、キョウエイボーガンは生まれてすぐ母を失った。彼自身の血統は三流ではないが決して一流でもない、地味で小柄な馬。

デビュー戦〜重量馬入り

1991年11月末、阪神開催の新馬戦でデビュー。逃げ切りで初戦勝利を挙げる。しかし次走と翌1月に出走した条件戦では、いずれも中団からレースを運んで大敗。直後には骨膜炎(ソエ)を発症し、休養に入った。

5月に条件戦で復帰、この競走から鞍上に松永幹夫を迎えた。ここで新馬戦と同様に逃げ戦法を採ると、2着に1馬身半差を付けて優勝、2勝目を挙げた。次走も先行し連勝すると、重賞初出走となった中日スポーツ賞4歳ステークスも逃げ切り優勝を果たした。秋を迎え、神戸新聞杯に出走。この競走も逃げ切りで重賞2連勝となり、菊花賞に向けた「夏の上がり馬」として一躍注目を集めた。

京都新聞杯〜「運命の」菊花賞

次走の京都新聞杯で、春のクラシック二冠馬ミホノブルボン、東京優駿(日本ダービー)2着のライスシャワーと初対戦する。当日は両馬に次ぐ3番人気に支持されたが、道中で本馬と同じく逃げ馬であるミホノブルボンに先頭を譲った結果、同馬の9着と大敗を喫する。スタートから先頭を切らなかったために、走りのリズムを崩したことが明らかと捉えた陣営は、菊花賞を迎えるに当たり「どのような結果となっても道中でミホノブルボンに先頭は譲らない」旨の宣言を出した。菊花賞の3000mという距離を不安視されている上、これまで他馬に競り掛けられた経験がないミホノブルボンは、同競走において史上5頭目のクラシック三冠達成が懸かるという事情があり、この宣言は大きな注目を集めた。


菊花賞当日は前走から大きく人気を落とし、11番人気という評価となった。レースでは宣言通りミホノブルボンの先手を取って先頭に立ち、ハイペースのまま、2周目の第3コーナーまでミホノブルボン以下を先導した。その後第3コーナー出口で失速、そのまま後退し結果は16着に終わる。一方のミホノブルボンは直線半ばでライスシャワーに交わされて2着に敗れ、三冠は成らなかった。このため競走後には、「ミホノブルボンの三冠を邪魔した」として、キョウエイボーガン陣営を非難する声も上がった。


関連タグ

競走馬

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました