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ウインバリアシオンの編集履歴

2021-07-14 23:52:32 バージョン

ウインバリアシオン

ういんばりあしおん

JRAの元競走馬。ライバル(オルフェーヴル)があまりに強すぎたばっかりに現役時代を通してとにかく苦労をした悲運の馬として有名。

概要

2008年4月10日生まれ、父ハーツクライ母スーパーバレリーナ。

2010年デビュー、2011年青葉賞で重賞初制覇、ダービー2着・菊花賞2着。

2012年春の天皇賞で3着、2013年有馬記念で2着。2014年日経賞で重賞2勝目、春の天皇賞でGI4回目の2着。2015年に怪我を理由に現役を引退する。


通算23戦4勝、そしてG1未勝利という、戦績としてはややパッとしない部分は否めない。

しかしその多くのレースで2着や3着という結果を残しており、シルバーコレクターながらウインバリアシオンを名馬と呼ぶファンが多い理由も頷ける。


ちなみにブロンズコレクターとして有名なナイスネイチャとは偶然ながら関係者が一部同じだったりする。


現役時代は怪我にも悩まされており、これによって競走馬としての寿命を大きく縮めてしまったことも悔やまれる。引退理由も故障による競争能力喪失によるものであった。


ライバル・オルフェーヴル

ウインバリアシオンをシルバーコレクターたらしめた一つの要因が、オルフェーヴル の存在である。


ライバルのオルフェーヴルには1勝4敗と負け越している。しかしその多くはオルフェーヴルに続く2着と好走しているのである。

ウインバリアシオンの走りは競馬ファンの多くを魅了するものであった。ただ、ライバルとされたオルフェーヴルが強すぎた

ちなみにオルフェーヴルの引退レースでもウインバリアシオンは出走しており、そこでも2着、しかも8馬身差を付けられての大敗に終わる。最後の最後までウインバリアシオンはオルフェーヴルをライバルとして競い続けた。


ウインバリアシオンの引退はそれから約2年後であったが、その頃からは以前にも増して故障不安が付きまとうように。

好敵手が消えてもフェノーメノゴールドシップジェンティルドンナ等の群雄割拠状態であり、彼らと戦わなければならないのに体調不安に悩まされるというのは不運なことであった。

2015年天皇賞(春)、ゴールドシップが内枠から大外回りで大きくまくっていった中で12着。そのレースで異常が見られたことで即検査が入り、その結果左前浅屈腱不全断裂が発覚、そのままひっそりと引退していった。


最悪の場合は予後不良にも繋がりかねない負傷だったことから、目立たずとも無事に現役を終えられたことだけが唯一の救いであろう。


引退後は種牡馬生活を送っている。


関連タグ

バリアシオンイクシオンサーガDTの登場人物。名前の由来がウインバリアシオン。

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