概要
アメリカ合衆国の漫画家、アニメ製作者、映画監督、実業家。本名、ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)。アイルランド系アメリカ人として、1901年、イリノイ州シカゴに生まれた。
世界的なエンターテインメント企業である「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の創設者。生涯の友人であったアブ・アイワークスととともに、その代表的アニメキャラクター「ミッキーマウス」を生み出した。
夢の国で知られるレジャー施設「ディズニーランド」を作ったのも彼の発案である。
アニメーション、芸能、映画、レジャーなど、おそらく20世紀における文化面で卓越した功績を挙げた人物と言える。
1920年、19歳の若さでアニメーションスタジオを創業。アイワークスをはじめとするアニメーターを呼び寄せ制作したオリジナルアニメは高い評価を呼ぶが、制作に没頭する余りに資金のやり繰りが乱雑になりスタジオは倒産してしまう。
ウォルトは兄のロイ・ディズニーと共にハリウッドで再起を目指し、1927年、ユニバーサル・ピクチャーズの配給で「しあわせウサギのオズワルド」を制作。子供の間で大ヒットを飛ばし、一躍ディズニー社躍進の切っ掛けを作った。
しかし、ユニバーサル社との仲介をした興行師チャールズ・B・ミンツが法外な配給手数料を支払う様に要求、ウォルトがこれを拒否すると露骨な社員への引き抜き工作を仕掛けた。アイワークス以外のアニメーターたちはこれに応じてしまい、ディズニー社は崩壊寸前の状態となる。
アイワークスとの二人三脚でディズニー再建に取り掛かったウォルトは、「ミッキーマウス」を生み出し新たな看板キャラクターに据える。初期作品において、秀逸な動きの描写をアイワークスが書き出す一方で、ウォルトは演出面で高い才能を発揮した。なお、初期の映画ではウォルト自身がミッキー・マウスの声優を演じていた。
対照的に、ウォルトの演出とアイワークスの作画を失ったオズワルドは次第に人気を失い、1930年代にはその人気を完全にミッキーに取って代わられる事になる。
だが、第二次世界大戦中は現在の夢の国とは真逆のアメリカでのプロパガンダ作品を多数手がけていた。
1955年にはカリフォルニア州アナハイムにて、150エーカーの土地を購入。自らの名を冠したテーマパークであるディズニーランドを開設し、現在まで続く多面的な経営の基盤を作った。
1966年12月に肺炎の為死去。