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カブラヤオーの編集履歴

2021-08-21 10:46:23 バージョン

カブラヤオー

かぶらやおー

カブラヤオーはJRAの元競走馬・種牡馬。1975年年度代表馬・最優秀4歳牡馬。

概要

カブラヤオーは1972年6月13日生まれ、父ファラモンド母カブラヤ。通算13戦11勝。


1974年デビュー、1975年ジュニアC10馬身差で圧勝し前年から3連勝、東京4歳Sでテスコガビーとの対決を制し、後の牡・牝2冠馬同士の史上に残る名勝負となる。

弥生賞で5連勝、皐月賞で1000m通貨58秒9というラップで逃げ切り6連勝、NHK杯6馬身差圧勝で7連勝、ダービーで1000m秒58秒6というラップで逃げ切り8連勝、殺人ラップ、狂気の逃げ馬と称された。この後故障し1年ほど休養、この年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬受賞。


1976年オープン戦勝利し9連勝、この9連勝は中央平地競争では現在も最多記録である。

復帰2戦目のオープン戦スタートでゲートに頭をぶつけ脳震盪を起こし11着、その後2連勝した後故障で引退。


種牡馬としてミヤマポピーやグランパズドリームなど輩出。


妹にミスカブラヤがいる。


ダイタクヘリオスとは母親つながりで親戚である。


2003年8月、31歳で老衰により永眠。


狂気の逃げ馬

カブラヤオーを語る上で欠かせないのが、その特徴的な戦術。

一言で表すなら、逆噴射装置の実装されていないツインターボ

オーバーペースで他馬の足を乱し、周りをヨレヨレにして一頭だけ走り切る。

速度特化技巧派の走りではなく、破滅的あるいは殺人的と表現するべき狂気的大逃げの戦法(別名「玉砕戦法」)を得意とする。実際、皐月賞の際にカブラヤオーに突っかかったレイクスプリンターという馬は最下位入線後に予後不良に見舞われたくらいである。


現役当時はその戦術を採った理由は明かされなかったが、引退後に幼少時に他馬に蹴られて、馬込みを極端に怖がる様になったために編み出された戦法であると明かされた。

レースの様子を見ると馬群恐怖症というよりもはや馬恐怖症のレベルであり、近づかれるたびに右へ左へヨレるほど。デビュー戦では普通の競馬をしようとしたら怖がって外側の柵まで逃げていったらしい。それでも結果は2着に収まっている。どうせ逃げるのならと逃げの戦法を取ったら自分から全力で逃げてくれた結果あの狂気と言われる逃げが出来上がった。もちろんそれで勝てるというのだから、心肺機能の高さも想像に難くない。


漫画・みどりのマキバオーにおいて、ミドリマキバオーがダービーで逃げ戦術を取った時、飯富昌虎調教師がこの馬を引き合いに出してきた。


『1万頭に1頭という強い心臓とここ一番の勝負根性…』

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