経歴
中日ドラゴンズに所属する投手。背番号は29 トレードマークのサングラスのせいか、ウルトラセブンと言うあだ名を持つ。神投球と怪我を繰り返す選手である。
神戸弘陵高⇒奈良産業大学を経て、社会人野球の河合楽器に入社。
2001年の第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献。
しかしこの年限りで野球部が休部した為社会人1年目だが特例措置でドラフト対象となり、2001年のドラフトで中日ドラゴンズから4巡目指名の同僚・久本祐一(後、広島を経て現・中日打撃投手)と共に6巡目指名を受け入団。
2007年日本シリーズで、8回までファイターズ打線をパーフェクトに抑えるも、4回頃からマメがつぶれていたらしく、悩む森投手コーチに続投するかどうかを問われ、最終的に降板を申告。9回にて中日の守護神である岩瀬仁紀に交代となった。
その後、岩瀬が3人で抑えて無事継投によるパーフェクトで日本一に輝くも、この日のことは相当の物議を醸した。無論、本人やチーム内にてかなりの葛藤があった結果であるのは間違いない。
その後の2013年6月28日、対ベイスターズ戦にて今度はノーヒットノーランを達成。
神がかっている時の山井のスライダーは非常によく曲がる。
近年は能力の衰えもあり一軍で炎上することも多々あるが中継ぎに行くと好投したりすることや
元々日によって好不調の差が激しかったりすることもありその日に応じて
先発では神井>良井>山井>病、中継ぎではセットアップゴーグルorセットアップコーディエ
と呼ばれている。
2018年5月22日に一軍昇格、同日の対DeNA戦に先発し、プロ野球史上9人目の40代での完封勝利を達成。(しかし翌日にのプロ野球公示で出場選手登録を抹消。)
2021年は一軍登板がなく、9月30日に現役引退を表明。
家族
父は地元・大阪府豊中市の「大阪ドラゴンズ少年野球団」の団長・総監督をつとめる
妹は、プロゴルファー(ドラコンプロ)の南出仁寛と結婚。
南出は漫才コンビ、オール阪神・巨人のオール巨人の長男で吉本興業所属。
余談
また東京ヤクルトスワローズの田中浩康とは生き別れの兄弟じゃないかって思われてもおかしくないレベルで顔が似ている。どうでもいいだろうけど。